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ようこそ! 倶生山 慈陽院 なごみ庵HPへ!

なごみ庵は平成18年4月6日に開所し、
令和元年5月7日に令和全国初の宗教法人になった、
ちいさなお寺です


〜定例行事予定〜
・11月 1日(第1金):イキイキ長いきの会 14時
・11月 8日(第2金):法話会 13時・19時
・写経会 10月はお休みです m(_ _)m
・10月25日(第4金):笑いヨガ 10時30分
※いずれの会も1時間ほど、その後茶話会(参加自由)があります
※いずれの会も参加費500円ほどお願いしています
(写経初回と夜法話会のみ1000円ほどお願いします)
※宗教・宗派を気にせずおいで下さい

〜特別行事予定〜
・12月8日(日)13時 報恩講&法人化記念行事

〜課外活動予定〜
死の体験旅行 豊島区 金剛院にて毎月開催
死の体験旅行 神奈川大学生涯学習にて開催
・写経会in神之木地区センター(横浜線大口駅 東口より徒歩4分)
 毎月第1火曜18時半〜(変更の場合あり 要お問い合わせ)
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ライフエンディングフェア2019 [その他色々]

キリスト教葬儀専門の葬儀社、創世ライフワークス社主催の終活イベント、「キリスト教目線から考えるライフエンディングフェア2019」に登壇させていただきました。


第1部は宗教学者の「あの」島田裕巳先生による講演「2015年問題から考えるキリスト教葬儀の可能性!?」です。
「あの」と書いたのは、島田先生の著書には『葬式は、要らない』や『戒名は、自分で決める』というものがあり、お坊さんにはすこぶる評判が悪いお方だからです(笑)。ちなみにご本人は、葬儀社にも不評だと仰っていました。

けれど事前に著作を読み、また当日講演を拝聴して思ったのは、島田先生は社会の変化とともに、今まで伝えられてきたものも変化していかざるを得ないという、まさに仏教で説く「諸行無常」について仰っているのだということでした。

問題提起のためか少し極端かなと思う論説もあり、また出版社の意向で過激なタイトルにされてしまったものの、お話しそのものは否定するようなものではなく、襟を正してお聴きしなければならない内容だと感じました。

ライフエンディングフェア4.jpg
私の出番は第2部のパネルディスカッション、テーマは「変わりゆく葬送文化におけるキリスト教葬儀の意義」というテーマで、私はここに仏教者として登壇いたしました。

ライフエンディングフェア1.jpg
なにしろ基本的にはクリスチャンが多いであろう会場、しかも不慣れなパネリスト、しかも「あの」島田先生の隣の席とあって非常に緊張しました。

しかし事前の打ち合わせで島田先生とも忌憚なくお話をさせていただき、また同じくパネリストとして登壇した東京基督教大学 神学部学部長の大和昌平先生とも親しくお話しをさせていただき、出番の頃には少し緊張がほぐれました。

また、モデレーターを務めたキリスト教新聞社の松谷信司さん(イケメン)の差配で、思うところをお話させていただくことができました。
ライフエンディングフェア3.jpg

あっと言う間の75分間でしたが、印象的だったのは大和先生のお話です。
大和先生は浄土真宗の篤い信仰を持つ祖母の影響を受け育ちつつ、高校生の頃にクリスチャンになりました。しかし親鸞聖人への尊敬の念は持ち続け、一般大学・キリスト教の大学を出た後、なんと京都の佛教大学と大学院で学ばれます。

そして現在は東京基督教大学で東洋思想を教え、内容はなんと親鸞聖人の語録である『歎異抄』とのこと。また機会を設けてじっくりお話しさせていただきたい、そう思う出逢いになりました。

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2019年10月の法語 [月々の法語]

「信心」というは、すなわち本願力回向の信心なり
Shinjin is the entrusting heart that is directed to beings through the power of the Primal Vow.
2019.10法語.png
今年の法語カレンダーは親鸞聖人のさまざまな著書から言葉が引かれており、10月は親鸞聖人の主著である『顕浄土真実教行証文類』からの一節です。

<解説>
一般には『教行信証』という略された題で知られる親鸞聖人の主著ですが、教・行・信・証・真仏土・化身土の6巻に分かれています。今月の言葉は3つ目の信巻に書かれており、『仏説無量寿経』という経典に記されている言葉を次々と解説する内容の一部が抜き出されています。

信心というと通常は、自分自身が神仏を信じる心を起こしている、あるいは胸に抱いているという意味で捉えている方が多いかと思います。しかし親鸞聖人はその信心を「本願力回向の信心なり」つまり「阿弥陀如来の本願の力から与えられた信心なのですよ」とおっしゃっています。

自分自身が阿弥陀如来を信じる心すら仏さまから与えられたものだという受け止めは、「絶対他力」と表現される親鸞聖人の思想の真骨頂と言えるでしょう。

<私のあじわい>
先日、相模原市の「市民・大学交流センター」という場所で「死」をテーマにお話をさせていただきました。1時間の話を終え、質疑応答に移ると数名の方からいろいろと質問をいただきました。その中で60代ぐらいと思われる男性から「死んだらどうなるのですか?」と尋ねられました。

ハッキリ言って困りました。だって死んだことありませんので「こうですよ」とは言えないわけです。でも「講釈師、見てきたようなウソをつき」という言葉がありますが、僧侶も見てきたように極楽浄土の様子を話すわけです。ですので私はその男性に「西の彼方にある極楽浄土に、仏さまとなって生まれていくと聞いております」と極めて教科書的な答え方をしました。

すると男性からは「そういう話じゃなくって」と返ってきたのです。言葉に込められたニュアンスとしては、「そんなおとぎ話のようなことは聞いてない」というふうに感じられました。

でも実は私は、「この世での命を終えると、仏となって極楽浄土に生まれていく」と信じているのです。もちろん実際に地球上にそういう場所が実在したり、仏という存在が生身の身体を持って存在するという信じ方はしていません。何と言葉に表したらよいか分かりませんが、漠然としつつ、でも確固として信じているのです。

前提が違う両者の問答ですから不完全燃焼で終わってしまいましたが、私としてはすっきりしません。自分が何故、一般的な現代人がおとぎ話のようだとすら思ってしまう話を信じていられるのか考えてみました。すると思い当たったのが、親鸞聖人の主著に書かれている「教行信証」だったのです。

一般的な仏教では、僧侶は正式な書名の順で悟りを得るとされています。つまり「教(教え)」があり、「行(修行)」を重ね、「証(悟り)」に至るという順番です。しかし親鸞聖人は、行と証の間に「信」を入れました。親鸞聖人は「信」ということを、とても大切に捉えていたのです。

自分になぞらえると、まず本を読んだり東京仏教学院に通ったりして「教」を学びました。そして毎朝尊前で手を合わせ、お経を上げお念仏を称えていますが、これが「行」です。そうした日々の「行」が、知らず知らず「信」を育んでいるのではないかと思い当たりました。

喩えると、野球をしたことがない人がイチローからバッティングの理論を聞かされ、バットを渡され「さあ、打ってみなさい」と言われてもバットはボールにかすりもしないでしょう。

しかし教えてもらった理論を胸に、毎日毎日バットの素振りを何年も繰り返して再びバッターボックスに立ったらどうでしょう。もちろん素振りだけでポンポン打てるようになるわけではないでしょうが、しかし最初に打席に立った時とは明らかに違い、「打てそうだ」という感覚が得られると思います。

質問をした男性と自分に何か違いがあるとすれば、こういうことだったのではないかと思い至りました。そして、これも感覚的な話になるのですが、私はこんな自分になったことを「自分のおかげ」とは思えません。もちろん勉強したりよほど体調が悪くなければ毎朝のお経を上げたりと、自分で努力をしていないわけではないのですが、それでも全て自分の手柄だとは思えないのです。

自分の努力や判断を超えたことに動かされ、今の自分になっている。だからこそ「仏さまとなって浄土に往く」と信じるこの気持ちも、親鸞聖人が説かれたように「仏さまから回向されたもの」と受け止められているのかもしれません。

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キリスト教の終活フェアに! [その他色々]

2019年10月14日(月祝)に東京都大田区で行われるキリスト教関連の終活イベント、「ライフエンディングフェア2019」に何故かパネリストとして登壇することになりました。
http://www.life-works.co.jp/life-ending-fair2019.html

つい先日、世界中の宗教が集まるイベントに出席したり、キリスト教系の学生寮に講師として行ったばかりですので、一体お前は何者だと自分に言いたい気分です(笑)


日本は、キリスト教が伝わった国としては非常に信徒が少ないと言われており、約1%だそうです。お隣りの韓国は文化圏としては同じにも関わらず、約30%がキリスト教徒と言われているので、不思議な気がします。

しかしそれでも1%のキリスト教徒がいらっしゃり、私もキリスト教式の葬儀に2回ほど出席したことがあります。もちろん正装である僧衣でした。


今回のイベントでは様々なセミナーなどが行われますが、メインの講演は宗教学者の島田裕巳先生がお話しになり、その後のパネルディスカッションに引き続き島田先生、東京基督教大学教授で神学部の学部長である大和昌平先生、そして私がパネリストとして加わります(モデレーターはキリスト教新聞社の松谷信司さんです)。
lifeendingfair.jpg

島田先生は『葬式は、要らない』や『0葬(ゼロそう)』といった著作を出されており、主に僧侶からはあまり好意的に見られていない場合が多いお方です(苦笑)。

しかし一般に広く知られた宗教者ですので、私も早めに行ってご講演を拝聴し、心の準備をして登壇したいと思います。

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顔の見えるお坊さん紹介サイト ブッタスク [その他色々]

ひょんなことから新しくできたお坊さん紹介サイト「ブッタスク」さんとご縁ができました。
https://buttask.com
ブッタスク.jpg

「お坊さん紹介サイト」というと、2015年12月にネット通販大手Amazonに僧侶が商品として出品されて話題になったような、いわゆる僧侶派遣業のことだと思われるかもしれません。
しかしこのブッタスクは一味違います。

ちなみにAmazonだけでなく、僧侶派遣といったものは以前からありますし、最近では様々な業界が参入して戦国時代の様相を呈しています。

私としてはその存在について、仕方の無い面もあるけれど諸手を挙げて賛成とは言えない立場をとっています。
そのあたりはリンク先の記事にまとめてありますので、よろしかったらご一読ください。
・インターネットでお坊さんを注文してはいけない


さてこのブッタスク、なにが一味違うかというと、多くの僧侶派遣が「日程と宗派さえ合えば、どんなお坊さんが来るかわからない」というサービス内容なのに対し、「宗派や地域だけでなく、お坊さんの顔や考え方がわかった上で依頼ができる」という特徴があります。
まとめると…

ブッタスク
・僧侶の顔や人柄、考え方がわかり、安心して依頼できる
・食べログのように、利用者から僧侶に対する評価を見て依頼を検討できる(2019.10.2現在準備中)
・法事や葬儀だけでなく、人生相談や法話、写経や宿坊などなど幅広い内容を依頼できる
・僧侶と直接やりとりできるので、いきなり注文ではなく色々と相談できる
・お布施のうち、どの程度運営会社に渡るのかが分かり安心できる(2割)

他の業者(会社によって多少の違いはあると思います)
・宗派以外の情報が無く、どんな僧侶が来るかわからない(ギャンブル性が高い)
・僧侶への評価が不明なので、問題を起こすような僧侶が来るかもしれない(実例を聞いたことがあります)
・業者にとって利益の高い、法事や葬儀のみしか依頼できない
・事前に僧侶に相談できない場合が多く、できたとしてもその僧侶に決まってからの場合が多い
・お布施のうち、どの程度業者に渡るか不透明(ちょっとここには書けない割合です)


実はこのサービスを提供している運営会社は、千葉県の日蓮宗寺院の住職が代表を務めています。
私と同じく一般家庭出身で、熱意を持って僧侶になった方です。
この住職がWEB制作に関わる方と出逢い、物語は始まりました。

ご自坊もお忙しそうなのですが、周囲で困っている僧侶を見たり、僧侶の魅力がなかなか伝わりにくい状況に歯がゆさを覚え、このサービスに思い至ったようです。

実は私も、様々な僧侶派遣会社を見て歯がゆさを覚え、自分自身で何かサービスを立ち上げられないかと考えていました。しかしブッタスクを知り、自分がやりたかったことが実現されている! であれば自分での立ち上げではなく、精いっぱい協力させていただこう! と決心しました。

今まであるようで無かった新しい仕組みなので、NHK「おはよう日本」でも取り上げられましたが、顔と名前が出るという特性上、僧侶の登録者が伸び悩んでいるようです。

こうしたサービスはいかに多くの地域、多くの宗派のお坊さんを選べるかが鍵になっています。
僧侶の皆さん、ぜひご一緒に活動してみませんか?
また一般の皆さん、相談できる僧侶がいる場合は結構ですが、何かお困りの時はぜひブッタスクのHPをご覧になってみてください。
https://buttask.com

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「死の体験旅行」in 登戸学寮 [死の体験旅行]

川崎市の登戸駅から徒歩10分、坂を上った静かな環境の中に学生寮、登戸学寮はあります。
http://www.gakuryo.or.jp/index.html
IMG_2944001.jpg

登戸学寮は聖書学者の黒崎幸吉氏によって開設された学生寮です。
入寮者がクリスチャンであるかどうかは問わず、また通う学校もミッション系である必要は無いそうですが、月〜金の朝食時に朝拝の時間があり、また毎週日曜日には午前9時から1時間ほど、聖書の朗読や賛美歌、寮長さんによる聖書の解説があるそうです。

9月29日の日曜日、この時間を少し長めに取っていただいて、寮生の希望者に「死の体験旅行」を受講いただきました。
「死の体験旅行」(登戸学寮)001.jpg

普段とはかなり異なる環境、また同じ屋根の下に住んでいる同士ということもあって、特に最後のシェアリングが難しいかもしれないと少し心配はありましたが、皆さん若者らしく率直な気持ちで受けてくださいました。

今回のご縁は寮長さんが、東京都江東区のブルーオーシャンカフェでの「死の体験旅行」を受講いただき、ぜひ学生寮でもとお声掛けいただいたものです。

時おり外部から講師を招くのだそうですが、寮長さんが知っている範囲では仏教僧侶は初めてとのことでした。またこの寮長さんご自身も聖書の研究者で、WS終了後は宗教間対話に花が咲きました。


役目を果たしてホッとして、帰りに登戸駅で乗り換えようとすると、やけにドラえもんが目に付きます。
IMG_2946001.jpg
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なんでも登戸駅は、藤子F不二雄ミュージアムの最寄り駅だとか。
http://fujiko-museum.com

今度は時間を作って行ってみます!

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マナビー鶴見さんで講演

思いがけず「障害者の就労支援施設」であるマナビー鶴見さんから講演の依頼をいただいたのは先日お話しした通りです。
https://manaby.co.jp

提示していただいた日程がちょうどお彼岸中の土曜日でしたが、たまたまポッカリと空いていたのでお伺いさせていただくことになりました。

毎週土曜日に行っている「サタレク」という2時間の枠で、職員さんがいろいろとプログラムを考えたり、時には外部から講師を招いたりと工夫をしていらっしゃるようです。


この施設の利用者は主に精神の不調や障害をお持ちの方たちで、そういった方に対してどのようにお話しすれば良いのか、何を話せば良いのか、かなり悩みました。
でも浄土真宗本願寺派の金沢別院での法話「適当に生きるススメ」の記事をご覧になっての依頼ですので、その時のことを思い出しながら準備をしてまいりました。

日本人は非常に真面目な人が多いと感じます。
大災害があった直後もスーパーにちゃんと並ぶ人々。
大きなスポーツイベントで試合後に掃除するサポーター。
美談として語られ、日本人の長所でもありますが、しかし真面目すぎるがゆえに自分を追いつめてしまう方も多いと感じます。

だからこそ「テキトー」ではなく「適当」を少し意識してみてはいかがでしょう?
ザックリ言うとそんなお話しでした。

2019921 #2_190921_0003.jpg
参加者は少なめだったものの、皆さん一所懸命に聴いてくださいました。
最初は反応がほとんど無かったので「自分スベってる!?」「全然伝わってない!?」と焦りましたが、話しているうちに反応は小さいものの真剣に聴いてくださっていることが分かってきました。

その感覚が間違っていなかったことが分かったのは終了後。
事前に職員さんに「希望者がいらしたら講演後に質問や相談をお受けしますよ」とお伝えしておいたのですが、次々にお見えになりました。

一回お話ししただけで何か大きく変わるわけではありませんが、ほんの少しでも心に響いてくれたとしたら嬉しいです。


マナビー鶴見さんの記事
https://snabi.jp/facility/18732/blog_articles/12671

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2019年10月号 [和庵だより]

◇ 世界平和 願いの祭典 プレイベント開催 ◇

来年の東京オリンピック・パラリンピックの正式な応援プログラムとなった「世界平和 願いの祭典」のプレイベントが、9月中旬に本番と同じ築地本願寺で開催されました(各種事情で事前告知ができず申し訳ありません)。
公式サイト http://www.worldpray2020.jp 
IMG_2920.jpg

さまざまな宗教や仏教各派が合同で儀式を執り行うという、日本ならではのイベントです。
仏教界としては私が卒業生会会長を務めていた未来の住職塾が関わっていますが、神道・キリスト教・イスラム教・ユダヤ教と、よくこれだけの宗教者が一堂に会したものだと驚かされます。

登場順に並べると、神道・浄土A(浄土宗・浄土真宗)・キリスト教 プロテスタント・密教(天台宗・真言宗)・ユダヤ教・禅(曹洞宗・臨済宗)・キリスト教 カトリック・浄土B(浄土宗・浄土真宗)・イスラム教・日蓮宗、以上10チームがそれぞれの作法で儀式などを行いました。

どうでしょうこのゴチャ混ぜ感! 日本での開催ですから仏教のチームが多く、また浄土系は人数が多いのでA・Bの2つのチームに分かれました(私は浄土Aチーム)。宗教に寛容な日本以外では、こうした行事を開催できる国はそう多くないのではないかと思います。

特に印象的だったのはイスラムチーム。日本人男性2名とエジプト人女性1名の3名で、イスラム教の聖典クルアーン(コーラン)の一節を哀愁漂う旋律に乗せて切々と歌います。

その歌声がインド風建築である築地本願寺の雰囲気に合い、しかも夕日を浴びて幻想的な世界になり、「あれ、自分いまイスタンブールにいるんだっけ?」と錯覚するほどでした。
本番は2020年7月18日(土)・19日(日)です。どうぞご記憶ください。


◎ お 知 ら せ ◎

◎秋のお彼岸法要のご案内
 9月23日(月祝)10時30分より
秋のお彼岸法要 〜親と子の読み聞かせ 絵本に学ぶ仏さまの教え〜
坊守が朗読する絵本は、佐野洋子さん作・絵の『空とぶライオン』です。
ぜひ、ご家族・お子さん・お孫さんもお誘い、お参りください。

◎「キリスト教目線から考えるライフエンディングフェア」
 10月14日(月祝)
キリスト教の関連団体主催の終活フェアで、パネリストとして登壇させていただくことになりました。12時45分から宗教学者の島田裕巳さんによる特別講演があり、その後14時30分から島田裕巳先生、東京基督教大学 神学部 学部長の大和昌平教授、そして私の3名でパネルディスカッションになります。会場は東京都大田区の大田産業プラザPiOです(京急蒲田駅 徒歩3分)。お寺にチラシもございます。

◎日帰りバスツアー「牛久大仏と成田山 秋の茨城・千葉をめぐる」
 10月18日(金)
今年も甚行寺さまとご一緒させていただきます。詳細は別紙ご覧ください。

◎報恩講&宗教法人設立記念
 12月8日(日)13時 東神奈川かなっくホールにて
先般よりご案内の通り、今年の報恩講は なごみ庵の宗教法人設立記念行事を兼ねて開催します。ご講師はNHKシブ5時でお馴染みの釈徹宗さん、開式時間は13時と決まりました。
今月号にチラシを同封しますが、なごみ庵の縁人会員の皆さま及び同伴の方は事前予約可能です。ご来場ご予定の方は、ぜひ事前にお申し込みください。

◦神之木地区センター写経会 10月1日(火)・15日(火) 18時30分
◦死の体験旅行 10月2日(月) 19時 豊島区 金剛院
        12月19日(木) 18時30分 神奈川大学 生涯学習講座
◦自死遺族の集い 9月26日(木)・10月24日(木) 10時30分 築地本願寺にて

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世界平和願いの祭典 プレイベント [その他色々]

2020年のオリンピック・パラリンピックの応援プログラムとして正式に位置づけられている「世界平和願いの祭典」のプレイベントが、約1年前となる2019年9月17日、本番と同じ築地本願寺を会場として開催されました!
http://www.worldpray2020.jp

さまざまな宗教や仏教各派が合同で法要などを執り行うという日本ならではのイベントです。
仏教界としては未来の住職塾サンガが関わっていますが、神道・キリスト教・イスラム教・ユダヤ教と、よくこれだけの宗教者が一堂に会したものだと驚きました。

登場順に並べると…
・神道チーム
・浄土Aチーム(浄土宗・浄土真宗)
・キリスト教 プロテスタントチーム
・密教チーム(天台宗・真言宗)
・ユダヤ教(お1人の参加)
・禅チーム(曹洞宗・臨済宗)
・キリスト教 カトリックチーム
・浄土Bチーム(浄土宗・浄土真宗)
・イスラム教チーム
・日蓮宗チーム

日本での開催ですから自然と仏教チームが多く、また浄土系は人数が多いのでA・B2チームに分かれましたが、どうでしょうこのゴチャ混ぜ感!
前にも書きましたが、日本以外でこうした行事を開催できる国はそう多くないのではないかと思います。

ここからは写真とともに印象的なシーンをご紹介します。

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祭典のポスター。
制作は浜崎あゆみさんのCDジャケット制作を手がける原神一さんによるもの。

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築地本願寺の境内に建てられた仮設テントが会場になります。
夏が戻ってきたような暑さで大変でした (>_<)

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私も初めて拝見したユダヤ教の宗教者。
お1人の参加で、祈りの言葉を唱え、通訳さんが日本語で伝えるというスタイルでした。

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カトリックの神父さま。
聖歌のコーラス隊を20名ほど連れていらして、お寺の境内に賛美歌が響きました。

IMG_2929.jpg
密教チーム、写真は真言宗の法楽太鼓。
手前の扇風機を写してしまう私のセンスの無さが光る一枚です。

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禅チーム。
前半は坐禅、後半は折本のお経をバラバラとめくる転読という、「静と動」をテーマにした法要。
導師の「喝ッ」の大音声が境内どころか築地中にも響き渡りました。

IMG_2932.jpg
印象的だったのはイスラムチーム。
3名の登場で、日本人男性2名、エジプト人女性1名。
エジプトの方は日本語が堪能で、イスラム教の基本的なことや、女性の立場などについて教えてくださいました。

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特に印象的だったのは、ある時は3名で、ある時はソロで唄われたイスラム教の聖句。クルアーン(コーラン)の一節のようですが、とても哀愁の漂う切々とした歌声です。
その歌声がインド風建築である築地本願寺、しかも夕日の時間帯だったので雰囲気が高まり、「あれ、自分いまイスタンブールにいるんだっけ?」と錯覚するほどでした。

IMG_2935.jpg
最後を飾るのは日蓮宗チーム。
他の仏教チームが宗派混成なのに対し、このチームは日蓮宗の僧侶のみで構成されているので法衣や儀式作法に統一感があります。

大きな団扇太鼓の音とともに真っ白な衣の日蓮宗僧侶が入場し、見学の人々を取り巻いて大音声での読経、散華、そして木剣加持と、もう言葉では表現しきれないほどの大迫力の法要でイベントは終了しました。


プレでもこれだけ力が入ったのですから、来年の本番はどうなるのか今から楽しみです。
2020年7月18日(土)・19日(日)、皆さん今から予定を空けておいてくださいね!

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ユニコムプラザさがみはら [その他色々]

「相模原市立 市民・大学交流センター ユニコムプラザさがみはら」さんで講演をさせていただきました!
https://unicom-plaza.jp/schedule#post-7256

この施設では2013年から月に2回ほどのペースで、多彩なジャンルの講師を招いて講演会を重ね続けています。
今回で180回目ぐらいだと思いますが、初のお坊さんとのこと。担当の方と相談して講題は、『「死」を通して考える「生」~お坊さんのホンネ~』といたしました。

予約不要なのでどれだけいらっしゃるか、フタを開けてみなければ分からないのですが、当日行ってみると「今までにないぐらいチラシが出ています!」とのこと。
その言葉通り、私が到着した1時間ほど前からすでに席に着いている方がいらして、徐々に参加者が増えていくに従って職員さんが椅子を増やします。
sml.20190914_142100611.jpg

最終的には94名の参加者になったそうで、回によってかなり人数の増減はあるものの、歴代で見ても参加者の多い回になったそうです。やはり初の坊さんというのが珍しかったのでしょうか、盛況で良かったです。


話の内容としては、普段はあまり触れにくい話題である「死」について真正面から考えていきましょうというもの。
最初に自己紹介をして、その後の構成は…
1:死について考えることの大切さ
2:具体的に死をどう考えるか
3:仏教では死をどう捉えているか
こんな流れでお話しをさせていただきました。

あっという間の1時間。
最後は時間が足りなくなり、ちょっと駆け足になってしまいました。

終了後は質疑応答。
さらに4組ほどの方から個々に悩み相談もお受けしました。
普段ですと1〜2時間はかけてじっくりお話しを伺うのですが、相談希望の方が並んでくださっているのでそうもいかず、15分ずつぐらいお話しに耳を傾けました。

終わってみると、質疑応答とご相談で1時間ちょっと。
講演そのものと同じぐらいの時間が過ぎていました。

なんだか帰りの電車でヘロヘロしてしまったので、思ったより疲れていたのかもしれませんが、充実した時間を過ごさせていただきました (^人^)

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2019年9月の法語 [月々の法語]

わがこころよければ往生すべしとおもうべからず
You should not think that you deserve to attain birth because you are good.
スクリーンショット 2019-09-09 09-09 22.51.31.png

今年の法語カレンダーは親鸞聖人のさまざまな著書から言葉が引かれており、9月は親鸞聖人のご消息(お手紙)からの一節です。

<解説>
長い手紙で、親鸞聖人が83歳の時に笠間(現 茨城県笠間市)の門弟から寄せられた質問に答えたものになります。まず最初に自力の往生と他力の往生の違いについて記されています。

そして今月のカレンダーの言葉が含まれる「しかれば、我が身の悪ければ、いかでか如来迎えたまわんと思うべからず、凡夫はもとより煩悩具足したるゆえに、悪きものと思うべし。また我が心良ければ往生すべしと思うべからず、自力の御はからいにては真実の報土へ生るべからざるなり」という部分に繋がっています。

また、なぜ他力で往生が成されるのかが説かれ、日本や中国の高僧、釋尊の言葉が根拠として上げられ、そしてその後、他力の信心を得た者を褒め称える内容にと繋がっています。


<私のあじわい>
手紙の中盤、今月の言葉が含まれる部分を現代語訳すると、「自分が悪い存在であっても阿弥陀如来が迎えに来てくれないと思わなくても良い、凡夫はすべからく煩悩を具足する身であるのだから。そしてまた自分が良い存在だから往生できると思ってもいけない。自分の力では真実の浄土に行けるはずはないのだから」となります。

皆さんは、極楽浄土に仏として生まれることにテストがあるとしたら、自分は100点が取れそうだと思われますでしょうか? それとも0点だと思われるでしょうか?

親鸞聖人は「自分が悪い存在であっても、阿弥陀如来が迎えに来てくれないと思わなくても良い」と仰います。当時の人はどう生きたかによって死後に往く世界が違うと捉えており、良い事をすれば阿弥陀如来が迎えに来てくれると信じていました。またどれほどの善行をしたかによってその迎え方は九つに分かれると考え、駅名にもなっている「九品仏」はその思想から来ています。

ただ親鸞聖人は、善行をするどころか悪事しかできなかったとしても、阿弥陀さまが迎えに来てくださらないと悲観しなくて良いのですよ、と説かれます。その理由として「人は皆、尽きせぬ煩悩を身に備えているのだから」と仰います。

そしてまた逆に、「自分が良い存在だから往生できると思ってもいけない」とも説き、「自分の力では真実の浄土に往けるはずはないのだから」と理由を述べています。

極楽浄土という場所はどうやら広いようで、その中心は「真実の報土」と呼ばれ、外れの方は「辺地」と呼ばれます。あまり現実の場所のようなイメージを持つべきではありませんが、「人間は煩悩を備えているので、浄土の辺地にしか生まれることができない」と親鸞聖人は説いています。

なぜ親鸞聖人はそのように説かれたのでしょうか? 一所懸命に努力すれば浄土の中心に生まれ、悪いことをすれば浄土の僻地に生まれてしまうのですよ、と言った方が分かりやすかったのではないでしょうか?

そこには、親鸞聖人の人間観があるのではないかと思います。
いくら善良に生きていこうと思っても、様々な条件や環境に左右されて思う通りに生きられないのが私たちです。結果的に素晴らしいことをした人物も、多くの縁に支えられて結果が生じたに過ぎない、と親鸞聖人は捉えているのではないでしょうか。

何か事件や事故が起きると、報道番組でマイクを向けられた人やインターネットに書かれる意見は、「被害者やその家族の身になれば、犯人は厳罰に処してほしい」という論調が多くなります。

とんでもないことをしでかした人を許しておけない、という気持ちは痛いほど分かりますが、そこに犯人の側に立つ意見はほとんど見られません。もしそのような意見を出そうものなら、犯人と同じように批難されかねません。

ですので私もあまり声を大にしては言えないのですが、世間から指弾される犯人に対して「ああ、なぜこのようなことをしでかしてしまう人生を歩まざるを得なかったのだろうか」と悲しい気持ちになることがあるのです。

そこまで大きな事件や事故までいかなくても、私たちは皆、完璧に生きられているわけではありません。

私が携わる「自死・自殺に向き合う僧侶の会」で往復書簡という活動があります。希死念慮者や自死遺族と手紙を通じて相談を受けるというものです。

以前、同じ班で活動した先輩僧侶は、悩みを抱え希死念慮を持つ方から長い間相談を受け続けていました。その方は小さな過ちを犯してしまったのですが、それ以降社会から向けられる冷たい視線に苦しめられ続け、自分を責め続けていました。
その方に先輩僧侶がかけた言葉に私はハッとさせられました。
「褒められたことではありませんが、責められることでもありません」というものです。これは私自身にかけられた言葉のようだ、と感じたのです。

常に人から褒められるような毎日を送れているわけではないのは、自分自身が一番よく知っています。しかし、ほとんど誰もが同じように日々を送っているのではないでしょうか。ですので、褒められはしなくても責められるほどでもない、というこの言葉が心に染みたのだと思います。

常に100点を目指さなくても、まあ50点や60点の時があってもいいじゃないか。そう思うことができれば、少し肩の力を抜いて生きていくことができるのではないでしょうか。

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