2010年2月号 [和庵だより]
積もった雪
この文を書いている二月一日の夜、横浜で珍しく雪が降っています(前号より毎月一日発行と言っておきながら一日に書いている事がバレますが)。
金子みすゞさんの詩に「積もった雪」という詩があります。
上の雪 さむかろな。
つめたい月がさしていて。
下の雪 重かろな。
何百人ものせていて。
中の雪 さみしかろな。
空もじべたもみえないで。
みすゞさんの詩は、私たちが普段見落とす小さないのち・弱いいのちに、その優しい視線を向けます。また、雪や石ころなどの無生物にさえ、その慈眼は向けられます。
みすゞさんの故郷、仙崎は日本海に面する小さな港町です。雪が降り積もる事もあったでしょう。みすゞさんはその積もった雪を見て想像を膨らませます。月光にさらされる表面の雪は寒そうだ。たくさんの雪を背負った下の雪は重いに違いない。
そこまでの想像は私も理解の範囲です。しかしみすゞさんは「中の雪」にまで想いを馳せます。月光も地面にも接する事の出来ない中の雪はさみしいに違いない…。この瞬間、みすゞさんの慈悲は仏さまに限りなく近づいているのではないでしょうか。
仏教のことば 「雪山童子」(せっせんどうじ)
仏教の故国、インドは暑い国です。一度インドに訪れた事がありますが、二月にも関わらず最高気温は三十度を超えていました。
その暑いインドから北を望めば、遥か彼方にヒマラヤ山脈がそびえます。インドの人々はヒマラヤ山脈を「雪山(せっせん)」と呼びました。
お釈迦さまは、何度も転生を繰り返し修行を重ね、最後にお釈迦さまとして生まれ悟りを開いたと伝えられています。お釈迦さまの前世のひとつは「雪山童子」と言われています。
ヒマラヤに住む雪山童子は悟りを求めていました。ある日山中で童子は、ある言葉を耳にします。それこそは悟りへの道を示す言葉でしたが、不完全なものでした。
声の主を探し求めると、そこには人を食らう鬼がおりました。童子は鬼に悟りの言葉の続きを求めます。しかし鬼は空腹で、残りの言葉を思い出せないと言います。
悟りを求める童子は、もし残りの言葉を聞けたなら、この身を食べても良い、と誓います。そして残る言葉を聞いた童子は、悟りの言葉を近くの石に刻むと、高い木に登り飢えた鬼のために飛び降りました。
その時、鬼は帝釈天の姿となり、優しく童子を受けとめると、真の悟りを求めるその決心を褒め讃えたと伝えられています。
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