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仏教界の活動 その2 [東日本大震災]

先日「仏教界の活動」と題して、主に各宗派の対応を記しましたが、今回は東工大准教授の上田紀行さんの文章を転載させて頂きます。2011年4月8日、朝日新聞『私の視点』に掲載された文章です。



朝日新聞 私の視点
仏教者の役割 苦を支えるネットワークに
 東日本大震災の被災者への献身的な救援や支援の中で、あまり報道されてはいないものの、今後の日本社会に大きく寄与できうる動きがある。それは宗教団体による支援活動である。
 「災害救援ひのきしん隊」がふだんから訓練をしている天理教、ボランティア団体を持つ真如苑、教団の基金から5億円の寄付を決めた立正佼成会など多くの新宗教教団には災害救援の実績があり、今回も活発に活動している。


 そして注目すべきは、在来仏教の寺や僧侶の動きである。寺院は数こそ全国で7万6千と、コンビニの2倍近く、公民館の4倍以上もあるが、横のつながりは弱く、各教団の宗務組織は非常に官僚的で、仏教界は現実社会の動きにとても即応できなかった。しかし、今回の震災では変わりつつある。

 被災地においては、被害を免れた寺が被災者の一時避難所となった。私の周囲では、震災直後からインターネットを通して全国の僧侶たちが情報を交換し合い、物資調達などを開始した。そして多くの僧侶が現地に入っている。

 そこで明らかになったのは、普段は見えない、寺と仏教者のネットワークの重要性だ。僧侶は修行仲間などの縁で容易に現地の寺に入ることができる。寺はその地域の情報を持ち、寺を拠点に、崩壊した行政が行き届かないところでの支援も可能だ。また、被災地から離れた寺が一時疎開の場を提供するなど、まさに「駆け込み寺」の機能が浮かび上がってきた。

 今回の早いアクションの背景には、この数年間の僧侶たちによる社会問題への積極的な関わりがある。自殺、ホームレス、海外援助などに向き合う僧侶たちの活発なネットワークが、震災発生と同時に動き出した。「ここで何もしなければ、日本仏教は本当に見限られてしまう」と彼らは語る。


 沈滞した宗教は究極の「想定内」の世界だ。何が起きても、決まりきった「ありがたい」話と儀式をしていればいい。しかし、その予定調和の世界から飛び出し、社会的現実に関わる宗教者たちが常に時代をひらいてきた。

 被災地では今後、身内も故郷も失った被災者のケアが課題となる。身元不明や無縁の方々も、ひとくくりにされるのではなく、一人ひとり「名のあるものとして」尊厳をもって供養されなければならない。「葬式仏教」と揶揄される日本仏教が想定外の現実の中で脱皮し、7万6千の寺が真に人々の「苦」を支えるネットワークとなれるのか。この国の「安心」の根幹にも関わっている。


この文章を読んで、また大震災発生後のさまざまな動きを見て、文中の「ここで何もしなければ、日本仏教は本当に見限られてしまう」という言葉に共感を覚えます。

もちろん「見限られてしまうから仕方なく行動する」という事ではありません。僧侶であってもそうでない方でも「何かしないではおられない、微力でも助けになりたい」という気持ちが沸き起こって当然だと思うのです(実際の行動に移せるかどうかは、それぞれの事情がありますから別として、気持ちが起こるかどうか、です)。

逆に、これだけの大災害が起こった事に胸を痛めず、まったく行動を起こさない。そんな僧侶は僧侶ではなく、ただ僧衣を着ただけの人に過ぎない、という事が知れ渡ってしまうと思うのです。

今回の大震災が、原子力政策や防災対策の大きな転換点となるであろう事と同様に、今後の仏教や寺院がどう変わっていくのか、それとも変わらないままなのか、重要な転機を迎えるのではないでしょうか。

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