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2011年10月 [月々の法語]

雑行を棄てて 本願に帰す

Discard sundry practices and take refuge in the Primal Vow.

『教行証文類より』


 今年のカレンダーの言葉は、親鸞聖人の主著である『教行証文類(教行信証)』から抜粋されています。

 今月の言葉の意味としては「聖道門の自力の行を棄てて、本願他力に帰依をする」となります。


 仏教の本来の道は、間違いなく自力修行の道です。お釈迦さまが歩まれた道をたどり、悟りを目指すのが本来のあり方です。しかし浄土の教えは、お釈迦さまの歩んだ道を進む能力や機会の無い者に開かれた、万人のための救済の道という事になります。


 浄土真宗で、特に高徳の僧とされているのが浄土七高僧です。インドの龍樹菩薩・天親菩薩、中国の曇鸞大師・道綽禅師・善導大師、そして日本では源信和尚と親鸞聖人の師である源空上人(法然)です。日本の源信和尚と源空上人、そして親鸞聖人には共通点があるように思えます。


 源信和尚は幼い頃から秀才として名高く、わずか15歳で天皇の前で経典の講義をしたほどの碩学でした。その時に頂いた褒美の品を故郷の母に送ると、母は喜ぶどころか「後の世を 渡す橋とぞ思ひしに 世渡る僧と なるぞ悲しき…まことの求道者となりたまえ」と諌めます。これに衝撃を受けた源空上人は比叡山での出世栄達のコースから離れ、念仏三昧の求道者となります。


 源空上人はやはり学僧として名高く「智慧第一の法然房」、つまり比叡山の僧侶の中でも最も優れた学僧だ、とあだ名されていました。しかしやはり出世の道を求めずに道を求め、ついには山を下りて世俗の中で教えを説き続けました。


 そして親鸞聖人も、20年近い月日を比叡山で修行と学問に明け暮れましたが、師との出会いの末に山を下り、流罪を縁として広範囲で教えを説きました。


 共通点は、世俗化した比叡山での出世には興味を持たず、修行や学問での悟りを追い求めていた事。そして自分の力の限界を知り、本願他力に帰依をした事です。

 つまり視線が権力者の方ではなく、力のない民衆に対して向いていたのです。そして民衆の苦しみを救う術が無い事も痛感していました。



 10月に入り、私たち青年会は被災地仙台に行き、わずかですが支援活動をしてきました。私が行ったのは石巻市のお寺、そこの墓地を少しでも整理するお手伝いをさせて頂きました。


 しかし、非常な無力感に襲われました。海から背後の山すそまで、家々が建っていたであろう場所は瓦礫が撤去され更地になっています。

 遠目に見ると本堂は残っているように見えましたが、実際には屋根と柱が残っているだけで、本堂の壁から中のものまで全て流されていました。


 墓地は住宅地と違い、なかなか撤去できない状況で、震災・津波の後からあまり状況が変わっていないようでした。人の力では重過ぎて動かせない墓石が、まるで積み木が崩れたかのようにバラバラに散乱し、様々な流れてきた物がその間に折り重なり、手のつけようの無い状況が生み出されていました。


 機械を入れる事が出来ないので、そこから人力で動かせる物を撤去し、墓石もなんとかずらし、自分のお墓を見に来る方が少しでも安全に通れるように道を作るのです。

 しかし…どこから手を付ければ良いのかわかりません。やっと手を動かして瓦礫を引っ張り出し、道に近い集積場に持っていき、戻ろうとすると自分が作業していた場所がわからなくなってしまいます。


 無力感と、妙な疲労感を感じながら作業をしていて思ったのは、過去の高僧がたも民衆の苦しみを救おうと努力をして、しかしその努力が全く通じない現実に触れ、そして阿弥陀仏の他力に救いを見いだしたのではないか、という事でした。

 よく「他力本願」という言葉が「無責任に人をあてにする」という意味で使われますが、これは果てしない努力と苦悩の結果、本願を選びとったという事なのだと身をもって知ったような気がします。


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