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2011年11月の法語 [月々の法語]

心を弘誓の仏地に樹て 念を難思の法海に流す

Firmly plant your heart and mind in the Buddha-ground of the universal Vow, ando allow your thoughts and feelings to flow within the dharma-ocean, which is beyond comprehension!

『教行証文類より』

 今年のカレンダーの言葉は、親鸞聖人の主著である『教行証文類(教行信証)』から抜粋されています。

 さて、法語カレンダーの言葉は比較的わかりやすいものと難解なものがありますが、今月は…難解です。以前に本願寺派の傑僧、山崎龍明師のご講義をお聴きした時に著書を購入し、内表紙にお言葉を書いて頂きました。そこに「樹心弘誓佛地 たしかなものをいのちの依りどころに」とありました。



 今月の言葉の出典を見てみますと、親鸞聖人の主著『教行証文類』の化身土巻・後序です。そこには法然上人の念仏の教えが広まった経緯や弾圧を受けた事、そして自身が法然上人の教えを受けた感激が書かれていました。


 聖人が33歳の時、師・法然上人の主著『選択本願念仏集』の書写を許されます。印刷技術の無い時代、本は書写によってしか手にする事は出来ませんでしたが、大切な書物は誰にでも写させるわけではありませんでした。若い、まだ門下に入って日の浅い親鸞聖人に書写が許されたのは異例だったようで、聖人はその事に感激をしています。


 そしてさらに法然上人の真影(肖像画)を預かり、それをも写す事を許されます。師の肖像画を写す事を許されるのは、その弟子が師の考えをしっかりと受け継いでいる、という事を意味するようです。


 後日書き写した真影を持っていくと、六字名号(南無阿弥陀仏)と『往生礼讃(善導大師)』の文、そして夢の告げによって新しい名前を書いて頂いたようです。

 この「夢の告げ」が、法然上人なのか親鸞聖人なのかがハッキリとしません。また、どんな名前だったのかも書かれていませんが、おそらくここで「親鸞」というお名前になったのではないかと思われます。以前は綽空と親鸞の間に「善信」という時期があったと言われていましたが、最近は善信は房号ではないかと言われています。

 房号とは、ニックネームというか、気軽に呼べるお名前の事です。例えば法然上人は「法然房源空」というお名前で「源空」の部分は他人が気安く呼べませんでした。なので親鸞聖人も「善信房綽空」から「善信房親鸞へとお名前が変わられたのではないかと思います。


 そしてさらに『選択本願念仏集』の内容を褒め称えますが、そこに今月の言葉が出てくるのです。現代語によると「心を本願の大地にうちたて、思いを不可思議の大海に流す」となります。

 ちなみにこの言葉は玄奘三蔵の『大唐西域記』に元となる言葉(心を仏地に樹て、情を法海に流す)があるそうです。



 で、要するにどういう事でしょうか。ここでヒントになるのは山崎師の「樹心弘誓佛地 たしかなものをいのちの依りどころに」という言葉です。


 私はお念仏に出逢っていますので、いのちを終えた後の事は心配をしていません。もちろん、死んでみなければ何も分からないのですが「念仏する誰をも見捨てない」という阿弥陀仏の言葉を信じているのです。

 これが「心を弘誓の仏地に樹て(たしかなものをいのちの依りどころに)」という言葉の意味ではないかと思います。


 とは言っても、私自身は煩悩にまみれた存在です。欲望もあるし悪い感情も後から後から湧いてきます。でも「確かな依りどころ」があれば、煩悩を否定するのでも克服するのでもなく、人間のはからいを超えた阿弥陀仏の海に流す事が出来る、という意味かと思います。


 つまり「必ず救う」という阿弥陀仏の言葉に絶対の安心感を得て、人生の荒波に揉まれながらも力強く生きていく、となるのではないでしょうか。


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