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2015年4月の法語 [月々の法語]

出会わねばならない ただひとりの人がいる それは私自身
There is one person for sure whom I cannot help but meet with. That is my own self.
廣瀬 杲(ひろせ たかし)

 今年のカレンダーの法語は、様々な念仏者や僧侶の言葉から選ばれています。4月は、大谷大学の名誉教授・学長までお勤めになり、2012年にお亡くなりになった廣瀬 杲師のお言葉です。廣瀬師の言葉は昨年11月のカレンダーにも「衆生にかけられた大悲は無倦である」と掲載されています。

 さて、今月の言葉は、特に難しい仏教用語などは使われていませんが、逆に意味としては難しくなっているように感じられます。

 以前、「人の一生で、無くてはならない相手が200人いる」と聞いた事があります。何が根拠で「200人」なのか分かりませんが、親や兄弟、親戚などの血縁関係から、幼少期、少年期、青年期、壮年期、老年期とそれぞれの師や親友。仕事付き合いの上司や部下。もちろん自分にとって良い相手だけではなく、ライバルや嫌いな相手も含まれるでしょう。どの人が最も大切だとはなかなか言えませんが、今月の言葉は「出会わねばならない、ただひとりの人」として自分自身をあげています。

 では、「自分探しの旅」にでも出かければいいでしょうか? もちろん旅先で貴重な出会いや気づきがあったり、人生の転機を迎えることもあるかもしれません。しかしそれが「自分自身」なのかというと、違うように思います。

 自分自身に出会うというのは、自分をありのままに見つめる、一切の粉飾、虚飾なく見つめることではないかと思います。簡単に思えますが、とても難しいことです。なぜなら人はどこまでも我が身が可愛いのですから、自分の思いや行為を正当化したくなる本性を持っているからです。

 うろ覚えで申し訳ありませんが、ある兵士が戦時中に自分が殺してしまった相手が、後々夢に出てきてうなされることがあったそうです。今だったら病院に行ってPTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断されて薬が出されるかもしれません。しかし昔のことですから、お寺に行ったり神社に行ったりして、なんとか許して欲しいと一所懸命にお参りやお祓いをしてもらった、しかし一向に悪夢は止みません。

 「許して欲しい」という思いは、言い換えれば、自分のしたことは間違っていなかった、少なくとも仕方の無いことだったと思い込み、無かったことにしたいという思いでしょう。たとえば自分が手を滑らせてお皿を割った時、「お皿を割った」ではなく、人はとっさに「お皿が割れた」と言います。お皿ぐらいだったら「割れたんじゃなくて、割ったんでしょ」と言われれば素直に「ハイ、そうです」と言えますが、人を殺してしまったという重い事実はそうそう受け入れられません。しかし後悔の念が強くて、無かったことにもできないでいたのでしょう。

 元兵士はそこでお念仏に出会います。自らを「愚禿」と名のり、「恥ずべし、痛むべし」「虚仮不実のこの身」「心は蛇蝎のごとく」と徹底的に自分を見つめた親鸞聖人の言葉に触れたのかもしれません。
 そこでようやく、自分の行為を無かったことにしようとしている、自分の姿が見えたのではないでしょうか。そして、自分のしたことを引き受けて、忘れもせず、正当化もせず、共に生きていこうという覚悟が定まったのだと思います。

 中国の善導大師の言葉に「経教はこれを喩ふるに鏡のごとし」というものがあります。仏さまの教えは、自らを写す鏡のようなものだ、という意味ですが、元兵士はお念仏を鏡として、初めて自分自身と出会えたのです。そしてどんなに「虚仮不実」で「蛇蝎」のような自分でも、救わずにはおられないという、阿弥陀仏の願いとも。

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長さん

仏教戒律の殺生と、戦が理由の敵兵殺戮とは、インドにお
ける原始仏教教団の成立時の伝承から察すると、概念に
ズレがあると、前にここで教わったような気がします。が、
今回の、当ブログの御説教により、両者は後に、合体した
との確信が十分に持てるようになりました。
 日本の中世武家社会は、合戦の時代だったために。戦が
理由の敵兵殺戮が日常的に頻出したんですね。特に東国
では。鎌倉時代末期から安土桃山時代まで。切れ目なく
武家同士のの戦が続いたようです。
その結果、仏教の殺生の戒律と戦における敵兵殺戮とは、
少なくとも、我が国の中世東国社会では同一と見なされる
ようになり、浄土宗系宗派の南北朝時代以降の隆盛、
一向一揆の出現の主要要因に、なったのですね。その
確信が、御説法から私には初めて持てるようになりました。
やあ。いままで。以上の点が、一向一揆の本質に関する、
モヤモヤとした疑念でしたので。誠に参考になる、
浄土真宗の御坊様自らによる、ありがたい御説法でした。
悪い言い方だと、「語るに落ちたとは、この事か」(?・笑)
 ちなみに、私の場合。痒いからといって。気持ちよさそうに
蚊を殺すの。これからはさけようと思います。また。
 更に私には身内に。太平洋戦争で、敵兵いっぱい
やっつけて、そのときにはヒーローになったものの。
亡くなった時、亡くなり方が妙にあっけなかったため、
知人から「彼には明らかに戦争厄が憑いている」と
言われた者が、実はおりましてねぇ。(怖)
素朴にですが。敵兵の幽霊が祟るんで。戦争がしやすく
なるような法案はやっぱり。国会では成立させない方が、
どちらかといえば良いのではと私は個人的に思いますね。
by 長さん (2015-04-21 09:56) 

ボーズandカナコ

>長さんさま
「仏教での殺生と、戦争時の殺生の概念にズレがある」って話、しましたっけ? 覚えてない… (^_^;)

日本の武士は、殺戮の生活に嫌気がさし、僧侶になったものが少なくないですね。熊谷直実もそのひとりです。

「戦争厄」という言葉は初めて聞きました。
新たな「戦争厄」を生み出すような法案は、成立をさせててはいけないと思います!
by ボーズandカナコ (2015-04-21 23:27) 

長さん

殺生戒の元々の形は。ネットで調べた結果では。仏教の信者
が、他の仏教の信者を死に追い込む事の禁止のようですね。
「修行中の信者が、自分の体の形が成仏するにしては余りに
醜いため、それを悲観して、自殺しようとしているのを、
見ていた他の信者が、手伝って死なせたのに対し、他の信者
の行為が戒律違反」という内容ではと思いましたが。二千数
百年前のインドにも、合戦が有ったようですが。戦が理由の
敵兵殺戮の戒の例は、なんせ古い話の為、記録すら残って
いないのですね。上記の信者自殺ほう助(?)戒も、文化的
土壌が、今とは相当違う為。、残念ながら少なくとも私には、
即座にピンとくる話ではありません。
なお中世日本の武家が、敵兵殺戮による障りを恐れていた
事は、「塚」の大量の存在から、史料上は確実視されますね。

by 長さん (2015-04-22 08:19) 

ボーズandカナコ

>長さんさま
へえ〜〜〜、そんな原形があるのですか、知らなかった!
でもたしかに、初期仏教の戒律は、現代人・日本人が耳にすると「???」というものもあるようです。

時代も文化的背景も違うのですから、当たり前と言えば当たり前ですね (^_^;)
by ボーズandカナコ (2015-04-22 13:28) 

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