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養老指南塾 第3回目 [布教所日記]

昨年末から開始した養老指南塾、今回が早くも最終回です。
参加者からは「これで終わりと思うと寂しい」という声も上がり、ここからも楽しく充実した学びの場であったことが感じられます。

最終回は、気づきのカードゲーム、玉置妙憂さんのご講義、模擬家族会議ワークショップという流れです。

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まず気づきのカードゲームですが、カードをめくっていくと様々な質問や動作が書いてありますので、それにしたがって答えたり動いたりします。あまり考えずに直感的に進めていくので、深い質問では自分の内面をさらけ出すような感覚もありました。


続いて玉置さんのご講義は「人生最期の医療を知る」と題されたもの。最終末期の医療がどう進歩しているのか、それによって何が起きているのかを聞かせて頂きました。

とても気になったのは、痛みのコントロールについてです。だいぶ以前はガンなど激しい痛みを伴う病気では、患者は痛みに耐えるしかなかった。終末期は痛みに耐える時期でもあったそうです。
やがてモルヒネなどの鎮痛薬が用いられるようになると、痛みそのものは緩和されても、意識は朦朧となってしまっていたのだそうです。

そして現在は、パッチを体に貼るだけで、意識も朦朧とせず、痛みをほぼ完璧に抑えることができるようになったのだそうです。皆さんどうですか? それは良いことだ! とお感じになりましたか?
しかし良いことばかりでもないのです。痛みそのものは抑えられ、また意識もハッキリしている。しかし体力までもが回復するわけではないので、あまり動けない状態の中、死を意識する時間が続いていくのだそうです。

これを聞いて私はゾッとしました。迫ってくる死を見つめ続けなければならないなんて……かえって苦痛に我を忘れていたり、意識が朦朧としてしまった方が、幸せだったのかもしれません。

もうひとつ思ったのは、迫り来る死の恐怖を和らげることができるとしたら、それはやはり信仰しかないのではないか、ということです。明確な死生観・死後観があれば、この恐怖を少しでも抑えることが出来るのではないか。というより、それ以外に有効な手だてはないのではないか、と感じました。

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講師の玉置妙憂さん(左)とワタシ(右)
なんか深く考えてる風ですが、たぶん大したことは考えてません(笑)


そして最後は「模擬家族会議」。
12人の受講生が6人ずつの2班に分かれ、それぞれ人物設定をして、家族会議をします。議題は「認知症のおばあちゃんが、口で食事をするのが難しくなってきたので、胃ロウをするかどうか」です。

「長男夫婦・次男・長女夫婦・孫」以上の6人が、自分の立場などの設定をベースに会議を進めていきます。様々な思惑が絡みあいながら、一応の結論が出ます。しかしその結論から導かれた結果が講師の口から語られると、「ああ、これでで良かったんだろうか……」という後悔に似た感情が湧いてきました。

現実でも充分起こり得る事態だと思います。ここで大切なのは、どの道を選ぶのが正解ということはないのだということ。そして熟考し、また関係者と話しあって出した結論であっても、後悔や迷いが生じるのだということです。
ここでもやはり「信仰」が大きな力を持ちえるのではないかと思ったのは、自分自身が仏教者であるから、というだけのことだったのでしょうか……。

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おまけ:模擬家族会議で私は「長女」の役でした(笑)


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