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枯れミミズ、ふやけミミズ [その他色々]

真夏に近所の公園を歩いていると、たくさんのミミズが干からびてしまっている光景を目にします。
そして脇の水路を見ると、今度は溺れ死んでしまったのか、白くふやけたミミズも数多くいます。
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ミミズの生態に詳しくないので理由は分かりませんが、炎天下や水中になど出てこず、居心地の良い土の中にいればいいのに…と哀れに思ったり、やはり知性が無いせいだろうか…と思ってしまいます。

でもふと、ミミズだけが愚かなのではなく、仏さまから見れば人間もそう変わらないのではないか、と感じました。
たとえば真冬に、暖房器具や火の不始末で火事に遭い亡くなる方もいます。そうかと思えば真夏に熱中症で亡くなる方や、水の事故で亡くなる方もいます。

こうした熱や水など直接的なことだけではなく、傍から見れば「何故それほど苦しまなければならないのか」「何故こんな亡くなり方をしなければならないのか」と考えさせられるような事柄は枚挙にいとまがありません。


浄土教のたとえ話で「二河白道(にがびゃくどう)」という有名な説話があります。
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(奈良 淨教寺さまHPより)

荒野を旅する人を、後ろから盗賊や山賊、虎や蛇などの獣が追いかけてきます。それらから逃げようとしても、目の前には激流の川と炎の川が流れていて進むことが出来ません。しかしその川に1本の細く白い道が通っています。
こちら岸ではお釈迦さまが「この道を進みなさい」と仰り、また向こう岸では阿弥陀仏が「こちらに渡ってきなさい」と声を掛けてくれています。


旅人は私たち人間、群賊悪獣は人間の根源的な愚かさ、水の激流は果てしのない欲望、炎の川は人間の自己中心性から起こる怒りを表しています。そして細く白い道は仏道を表し、向こう岸は「彼岸」、つまり安らかな悟りの世界を表しています。

私たち人間は、ミミズを愚かで哀れだと見ます。
しかし仏さまから見た人間は、様々な煩悩に左右され翻弄され苦しんで生きている、愚かで哀れな存在と見ているのかもしれません。

煩悩に振り回される生活から離れることは難しいことですが、それでも「振り回されている」と自覚するだけでも生き方が変化する可能性が生じます。仏教では自身の「愚かさを知る」ことがひとつの大きなテーマになっているのです。

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