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2016年10月の法語 [月々の法語]

今年の真宗教団連合カレンダーは、正信偈を意訳した『和訳 正信偈』から部分的に題材が取られています。
ですのでカレンダーの言葉だけを取り扱うと、正信偈をコマギレでお話することになってしまいますので、今年は正信偈を通してお話させて頂こうと思います。

正信偈は7文字で1行で、全体で120行の構成になっています。
10月は以下の8行をお話させて頂きました。

源信広開一代教 偏帰安養勧一切 専雑執心判浅深 報化二土正弁立
極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我

インド、中国と進んできた浄土七高僧も、今月から日本の僧侶になります。
第六祖は源信和尚(げんしん かしょう)。

源信和尚は現在の奈良県に生まれ、幼少期から非凡さを発揮し、9歳から比叡山で仏教を学ぶことになります。そしてなんと数え年の15歳、現在の年齢にすると満14歳で天皇の前で仏教を講義するという大役を仰せつかります。

14歳というと今は中学2年生ぐらいですから、どれだけの天才であったかが伺い知れます。また14歳というと、水泳の岩崎恭子さんが金メダルととったのが同じく14歳。「今まで生きてきた中で一番幸せです」という言葉が印象的ですが、若き源信和尚も同じような嬉しい、晴れがましい気持ちになったことでしょう。

天皇から金メダル……じゃなくて褒美の品を頂いた源信和尚は、故郷の母にそれをおくりますが、しばらくすると手紙が添えられた品々がそっくり戻ってきます。その手紙には…

後の世を 渡す橋とぞ 思ひしに 世渡る僧と なるぞ悲しき
まことの求道者となり給へ

この手紙を見て、源信和尚は大きなショックを受けます。
為政者に認められ、褒美の品をもらい、天にも上るような気持ちであったところを、母から冷や水を浴びせられ本来の目的を思いだしたのです。

それからは栄華栄達をきっぱり捨て、比叡山の横川という場所で隠遁生活を送り、ひたすら仏道修行に明け暮れます。そして壮年となった源信和尚は、数十年ぶりに故郷を目指します。待っていたのは、死を目前にした母でした。その母に息子は、今まで学んできた仏道を伝え、母は安堵の中、息を引き取っていきました。

もちろん源信和尚の才能は高いものでしたが、母の厳しい愛情があって、それは花開きました。


さて、本題の正信偈に戻りましょう。
源信和尚が仏教を広く学び、その中から浄土の教えに帰依したことが書かれています。
念仏以外の諸行を修する者は、浄土の中でも外れである「化土」に往生し、ただ念仏する者は真実の浄土である「報土」に往生すると説かれました。

また、極重の悪人はただ念仏せよ、とも説かれます。
続いて「我もまた」と書かれていますので、自分と悪人を切り離すわけではなく、むしろ自分を悪人の側として見ているようです。
その「我」も阿弥陀仏の光に照らされている。煩悩が自分の目を遮ってその光を見ることが出来ないかもしれないが、それでも光明は常に私を照らしている、と結ばれています。


最後の部分ですが、当時は臨終の際に浄土往生する者には、奇瑞が表れるという考えがありました。
ですので、阿弥陀仏に照らされているのだよ、と伝える時にも、聴く者はなんらかの目に見える変化を求めたのではないかと思います。
それに対し源信和尚は、阿弥陀仏の光は目に見えないかもしれないが、それは私たちの目が煩悩で曇っているからだ。心配しなくて良い、と仰ったのです。

遠く故郷で自分を願い続けてくれる母。
その母の姿が、阿弥陀仏に重なったのではないでしょうか。

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