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2017年1月の法語 [月々の法語]

無明の闇を破するゆえ 智慧光仏となづけたり
The light dispels the darkness of ignorance.
Thus, Amida is called “Buddha of the Light of Wisdom.”

今年の法語カレンダーは、2009年以来8年ぶりに、親鸞聖人の和讃が題材になっています。和讃は七五調の和語の歌で、平安時代に流行した今様と形式は同じですが、仏・法・僧伽を讃嘆したものが特に「和讃」と呼ばれます。
また、カレンダーでは4行ある和讃の2行が記されていますので、まずは全体像をご紹介します。

無明の闇を破するゆえ 智慧光仏となづけたり
一切諸仏三乗衆 ともに嘆誉したまへり

「一切諸仏」は文字通り、一切の仏さまという意味ですが、続く「三乗衆」が見慣れない言葉です。「三乗」とは、仏道を歩むものが声聞・縁覚・菩薩の三種あり、それを指す言葉です。「衆」が付きますので、「仏道を歩む諸々の人々」という意味になります。

また「嘆誉」という言葉があり、親鸞聖人はここに「ほめ・ほむ」という左訓を付けています。「嘆」は「なげく」と読みますが「感嘆」という言葉もあり、感心するという意味もあります。

以上を踏まえて、現代語訳は以下の通りです。
迷いの闇を照らし破るので、(阿弥陀仏は)智慧の光の仏と名付けられる。
一切の仏さまや仏道を歩む者が、共にその光をほめたたえる。


さて、阿弥陀仏を誉めたたえると言っても、「ハンサムですね」「超やさしいですね」「耳たぶ大きいですね」などという言葉をかけるということではなく、やはりお念仏がそれにあたります。2014年9月の法語カレンダーは「お念仏は讃嘆であり、懺悔である」という金子大榮さんの言葉でしたが、お念仏には阿弥陀さまを讃える意味も含まれています(それだけではありませんが)。
ですので私は葬儀や法事などの時、参列の方になるべくお念仏を口に出して頂こうと、あの手この手を駆使するようにしています。

先日、ある女性の葬儀がありました。その方はコーラスをしており、通夜葬儀にはその友人たちが大勢いらして、別れを悲しんでいました。

出棺の時にはその方々が、『今日の日はさようなら』を歌うことになっていました。この歌は森山良子さんの1966年の曲で、若者の友情を育む歌として作られました。でも友情は、若者だけの特権ではありません。「今日の日はさようなら♪」「また会う日まで♪」という歌詞は、葬儀の場にもふさわしいものだと思います。
gassyou_mamasan_chorus.png

浄土真宗でお勤めする『仏説阿弥陀経』には「倶会一処」という言葉がありますが、これは「一つの場所(お浄土)で必ず再会しましょうね」という意味の言葉です。ですのでこの歌は、仏教的な意味も含むものだと感じました。

そういったご法話をさせて頂いたのが通じたのでしょうか。
「それでは皆さん、ご一緒にお念仏を…」と呼びかけたところ、参列の方々がしっかりとお念仏を称えて下さいました。

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