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グリーフケア(喪失悲歎) [HPメニュー]

「グリーフ(grief)」とは「深い悲しみ」と訳される言葉です。

「喪失悲歎」とも呼ばれ、主に死別の悲しみを指す言葉になっていますが、必ずしも死別だけとは限らず、生別も含まれますし、大切な物品を失った悲しみも含まれます。
人気ドラマが最終回を迎えた際、「(ドラマ名や登場人物名)ロス」という言葉も耳にするようになりましたが、これも広義のグリーフといえます。

グリーフは様々な表れ方をします。
悲しくて涙を流すという表れ方は分かりやすいですが、怒りや不安や罪悪感、無感情になるという表れ方もあります。また、身体や行動に変化が表れる場合もあります。

どれもその人にとって、自然で必要なことです。でも周囲の理解が充分でないため、本人や周囲が傷つく場合もあります。
例えば家族を失い嘆き悲しんでいる人に「あまり悲しんでいると、亡くなった〜〜さんも成仏できないよ」などという言葉によって、悲しいのに悲しめなくなります。
例えば子を失った夫婦で、夫は仕事に打ち込んで考えない時間を持とうとし、妻は涙を流し続けていると、ふたりとも同じ悲しみを共有しているのに理解しあえなくなります。

そして「グリーフ・ケア」は、そのグリーフをケアすることです。
ケア(care)は外来語ですが、ずいぶんと日本になじんでいる言葉です。あえて日本語で表現すると「気づかう」「世話をする」「介護をする」「手当て」など多くの意味を含んでいます。
葬儀や法事などの仏事も「故人のための儀式を行う」ことを通じて、グリーフケアの役割を担っていると言われています。
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以下に「一般社団法人リブオン」が提唱する「大切な人をなくした人のための権利条約」を書き記します。
ご自身や周囲の方に悲しい出来事があった時、思い出して頂いたり、そっとお伝え頂ければ幸いです。

大切な人をなくした人のための権利条約

第1条 悲しんでもいい 落ち込んでもいい
「がんばらないと」「心配かけてはいけない」と気丈にふるまっているかもしれません。
でも時に自分の心の奥にある声に耳を傾けてみてください。悲しい時は悲しみ、落ちこむことがあるのも自然なことです。

第2条 自分を許してもいい
「わたしが悪かったんだ」と自分を責めてどうしようもない時。「どうにもできないことがあったんだ」ということを認めてもよいのです。
自分を責めるのは、あなたにとって、その人の存在がそれほどまでに大事だった証です。

第3条 考えない、思い出さないときもいい
死を直視しないのもまた自由です。辛いから考えたくない、思い出したくない。そんな時は、今、自分が打ち込めることに力をそそげばよいのです。考えられる時、思い出したい時に、そうすればよいのです。なくなった人はそんなあなたを責めないでしょうから。

第4条 自分を大切に
「みんな大変だから」と思い、我慢することも尊いことです。でも自分がつぶれてしまうほどの我慢はどうでしょうか。大切なのはあなたが、あなたらしく生きてゆけること。自分自身を大切にすることに許しを与えてもよいのです。

第5条 助けてもらうこと
「お互いさま」誰もがいつかは大切な人をなくし、苦しい時があります。
だから今、あなたが辛いのなら、支えてもらってよいのです。いつか、誰かにその恩を返したり、送っていけばよいのです。「助けて」は悪いことではありません。

第6条 みんなちがって、それぞれにいい
同じことを前にしても、感じ方はちがいます。人それぞれであるということ。
どちらが重たくて、どちらが軽いということは本当はありません。
ただ「そう感じている」ということが真実なのです。感じるままに、ちがいをちがいのままに。

第7条 自分の人生を歩んでいく
自分の人生を生きること。たのしい時間をもつこと。
時に、なくした人を忘れていること。それはなくした人を置いていくことではありません。
喪失した相手の存在と共に、あなたの人生を歩んでいくことはきっとできます。


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