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2019年2月号 [和庵だより]

◇ 聖なる歌 ◇

昨年12月23日、代官山ノエルというクリスマスイベントに協力をしてきました…と書くと私が宗旨替えをしたかと驚かれるかもしれませんが(笑)、もちろんそうではありません。超宗派の仲間の僧侶と共に、プロテスタントの本多記念教会を中心とした行事に参加をしたのです。

まずは「牧師さん&お坊さんと話そう」というコーナー。普段なかなか接する機会のない僧侶や、それ以上に見かける機会の少ない牧師さんと話ができるというもの。雑談だったり、質問だったり、真剣な悩みだったり、色々な方がいらっしゃいます。私も、これからの進路に悩む青年の言葉に耳を傾けさせていただきました。

そして楽しみだったのは、無数のキャンドルでライトアップされた教会での声明公演。声明(しょうみょう)とは歌のようなお経のことで、幻想的な雰囲気の中、僧侶5名による誦経の声が響き渡りました。
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イベントの最後は、屋外でのゴスペル&読経の公演。寒い中ですがライトアップされた広場に、多くの人だかりの輪が広がります。そこでまず、僧侶たちによる声明で厳粛な雰囲気が作り出され、続く地元高校のブラスバンド演奏で徐々に場は盛り上がっていきます。そして大人数のゴスペル隊が登場し、「Oh happy day」など耳にしたことがある曲を、体を揺らし、手拍子と共に歌います。僧侶たちも思わずノって手拍子を叩きながら、私は『天使にラブソングを』という映画が好きだったことを思い出しました。

教会であってもお寺であっても、そこは厳粛な宗教的空間です。しかし厳粛なだけではなく、時には楽しみを共有する機会も大切なのだな…と、2つの聖なる歌が響く夜空の下、ヒントを頂けたような気持ちになりました。


◎ お 知 ら せ ◎

◎春のお彼岸法要 〜親と子の読み聞かせ 絵本に学ぶ仏さまの教え〜
3月17日(日)13時より なごみ庵にて

お彼岸法要では、読経の後、坊守による絵本の朗読があり、続けてその絵本の内容に関する法話をいたします。
今回選ばれた『おじいさんなら できる』は、おじいさんが大好きな孫の少年と、手先が器用で手芸が得意なおじいさんの、心暖まる可愛らしいストーリーです。
どうぞお子さんやお孫さんもお連れになり、ご参加ください。

なお、茶話会のお菓子の準備などもありますので、できるだけ出欠と人数をお知らせいただければ有り難いです。
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◎寺社フェス「向源」 5月4日(土)・5日(日)目黒 五百羅漢寺・蟠龍寺にて
毎年ゴールデンウィークに開催される寺社フェス「向源」ですが、今年は5月4日・5日に目黒の2つのお寺で開催されます。
会場の1つである五百羅漢寺は、平成27年10月の合同バス旅行で訪れた、特徴的な本堂のお寺です。
またもう1つの蟠龍寺は、山手七福神の弁財天が祀られています。

◎三浦霊園 合同墓 倶生の碑 合同参拝バスツアー 5月15日(水)
今年も気候が良いであろう5月の中旬、15日にご希望の皆さんと合同参拝に出かけます。
詳細は次号以降でお知らせいたします。

◦神之木地区センター写経会 2月5日(火)・19日(火) 18時30分よ
◦死の体験旅行 2月23日(土) 18時 豊島区 金剛院 / なごみ庵 2月9日 満席
◦自死遺族の集い 1月24日(木)・2月28日(木) 10時30分 築地本願寺にて

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知らぬが仏な講演会 [その他色々]

珍しい場での講演の依頼をお受けしました。

神奈川県社会保険労務士会
厚木支部 賀詞交換会


社会保険労務士ってなんだ…?
賀詞交換会ってなんだ…?
と、よく把握できていないものの、頂いたお話しは可能な限りお受けするのがモットーですので、「はい、参ります!」と安請け合いをしてから下調べスタート(笑)

まあきっと、同じ資格を持つ方々の新年会があって、その前にお話しをさせて頂くのだろうな、と考えておりました。


当日会場のホテルにつくと、想像よりかなり立派で、講演会場はスクール形式で机が並んでおり、宴席とはまた別の部屋になっているようです。
プロジェクターも用意して頂き、90分間の持ち時間で仏教とお正月の話や、もっと「遊び」を持つ生きかたが大切なのではないか、という話をさせて頂きました。
けれど中途半端に法話っぽくしてしまったのが、自分としては反省点。
いわゆるビジネスパーソンが多かったので、「未来の住職塾」の話などの方が良かったのかもしれません。


なんとか話を終えて、宴席に移動します。
ライトな立食パーティーみたいな感じかな…と思っていたら、結婚式場にも使われている部屋に円卓が並び、ほぼ披露宴状態。しかも着席して席次表を見ると、来賓の方々の肩書きに国会議員や近隣の市長さんの名前が並んでいます。

えっ! そんな堅い会だったの!?
今さらながらに気づいて冷や汗をかきましたが、救いだったのは講演が終わってから会の重さに気付いたこと。
来賓の方々は基本的に講演を聞かないとはいえ、事前に知っていたら尻込みしていました。
「知らぬが仏」とは正にこのことですね (^_^;) 

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2019年1月の法話 [月々の法語]

今年は去年に引き続き、親鸞聖人のお言葉を弟子の唯円(とされています)が聞き書きをした『歎異抄(たんにしょう)』を題材としてお話しさせて頂いています。
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第八条も七条と同じく短いので、まずは全文を掲載します。

念仏は行者のために、非行(ひぎょう)・非善(ひぜん)なり。
我がはからいにて行ずるにあらざれば非行といふ。
我がはからいにてつくる善にもあらざれば非善といふ。
ひとへに他力にして自力をはなれたるゆえに、行者のためには非行・非善なりと云々。

「非行」は現代の読み方ですと「ひこう」となり、悪い行いを指します。「非行少年」なんて言葉もありますね。
ですが仏教的には「ひぎょう」と読みます。行、つまり修行ではないという意味です。
続く「善」は、仏教的な善い行いを指します。「善根功徳を積む」といった言葉もありますが、いわゆる「徳を積むような善い行い」を指します。

親鸞聖人は、お念仏はそれを称える者にとって、行でも善でもない、と仰るのですが、これはそれまでの仏教の常識からすると正反対のことを言っています。
つまり元々の仏教では、お念仏を称えること、特に数多く口にすることは修行でもあり善い行いでもあると捉えられていたのです。
ではなぜ親鸞聖人は「そうではない」と仰ったのでしょう?

「はからい」という言葉が続けて2度、出てきます。
自分の意志や判断という意味ですが、「お念仏を称える」ことを広い広い視点で見てみると…
人間としてこの世に生まれ、仏教に出逢う縁があり、こうして念仏を称えているのは、全てが自分の「はからい」であろうか?
いや、そうではない。仏さまの「はからい」によって、この私の口から念仏が漏れ出てくるのだ。
親鸞聖人はそう捉えられたのでしょう。

また後半に「他力」という言葉が出てきます。
色々な使われ方をする言葉ですが、仏教、特に浄土教では「阿弥陀如来のはからい」を「他力」と言います。
特に親鸞聖人においては、上記のような「自分のはからい」が入る余地の無いほど「他力」を重視し、そのあり方は「絶対他力」と呼ばれます。

親鸞聖人は、なぜここまで「他力」を徹底したのでしょうか。
その理由のひとつは、お念仏に「自分のはからい」がほんの少しでも混じると、人はそれを切っ掛けとして、お念仏を自分のものとして握りしめてしまう傾向がある、と危惧されたのではないでしょうか。

つまり、「何年前からお念仏をしている」「1日に何回のお念仏を称えている」「人より大きな声でお念仏を称えている」などと、人と優劣を比べたり、他者をやり込める道具にしてしまう。
そういったことを嫌い、避けるために、「念仏は行者のために非行 非善なり」と仰ったのではないでしょうか。

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