富岡龍光寺のお十夜 [その他色々]
製糸場が国宝になったことで有名な、群馬県の富岡に行って参りました。
「関東三大お十夜」として名高い、浄土宗 龍光寺のお十夜法要に法話でお招きいただいたのです。
実はこちらの副住職とは「未来の住職塾」でご一緒し、同年齢だったこともあって意気投合し、それ以来のお付き合いです。規模の大きな法要に、他宗派の私をお招きくださいました。
龍光寺さんは富岡製糸場のすぐ近くにあり、またそこで働いていて亡くなった工女さんのお墓が多くあり、観光で訪れる方も多いお寺です。私もせっかく富岡まで行くので、早めに向かいました。
高崎駅まで新幹線、そこから上信電鉄という懐しい雰囲気の電車(自動改札じゃなく、久々にあのカチカチ鳴る切符切り!)に乗り上州富岡駅で下車。
まずは腹ごしらえと、駅と製糸場の間にある「上州路うどん さくら」さんに入り坦々ひもかわうどんを注文しましたが…
うどん切り忘れてますよ〜〜〜〜!
いえいえ、この一反木綿みたいのが名物ひもかわうどん。幅5cmほどあり、「1枚1枚」ずつ食べていきます。
以前に乾麺で食べたことはあるのですが、こちらはお店で打っているそうで、モチモチ感が違いました。
野菜もたっぷりで食べごたえのある一品です。
お腹も満ちて、ゆっくりと富岡製糸場を見学。
入口で「和服の方へプレゼント」と缶バッジをいただきました。いつもの作務衣姿に、荷物を減らすため足袋草履だったのでラッキーでした ٩( ᐛ )و
見学を終え、5分ほど歩くと龍光寺さん。
山門の彫刻が素晴らしい出来映え。
お寺の名前にちなんでか、多くの龍が彫られています。
お十夜は浄土宗で大切にされている法要ですが、龍光寺さんのお十夜は地域のお祭りにもなっているようで、境内には露店が建ち並び、大勢の老若男女が楽しそうに行き来していました。
昼の法要の前には、富岡製糸場から龍光寺さんまでの稚児道中があります。雅楽の僧侶と副住職、お寺の幼稚園児のお稚児さんとともに、ちゃっかりこちらにも混ぜていただきました (^_^;)
「関東三大お十夜」として名高い、浄土宗 龍光寺のお十夜法要に法話でお招きいただいたのです。
実はこちらの副住職とは「未来の住職塾」でご一緒し、同年齢だったこともあって意気投合し、それ以来のお付き合いです。規模の大きな法要に、他宗派の私をお招きくださいました。
龍光寺さんは富岡製糸場のすぐ近くにあり、またそこで働いていて亡くなった工女さんのお墓が多くあり、観光で訪れる方も多いお寺です。私もせっかく富岡まで行くので、早めに向かいました。
高崎駅まで新幹線、そこから上信電鉄という懐しい雰囲気の電車(自動改札じゃなく、久々にあのカチカチ鳴る切符切り!)に乗り上州富岡駅で下車。
まずは腹ごしらえと、駅と製糸場の間にある「上州路うどん さくら」さんに入り坦々ひもかわうどんを注文しましたが…
うどん切り忘れてますよ〜〜〜〜!
いえいえ、この一反木綿みたいのが名物ひもかわうどん。幅5cmほどあり、「1枚1枚」ずつ食べていきます。
以前に乾麺で食べたことはあるのですが、こちらはお店で打っているそうで、モチモチ感が違いました。
野菜もたっぷりで食べごたえのある一品です。
お腹も満ちて、ゆっくりと富岡製糸場を見学。
入口で「和服の方へプレゼント」と缶バッジをいただきました。いつもの作務衣姿に、荷物を減らすため足袋草履だったのでラッキーでした ٩( ᐛ )و
見学を終え、5分ほど歩くと龍光寺さん。
山門の彫刻が素晴らしい出来映え。
お寺の名前にちなんでか、多くの龍が彫られています。
お十夜は浄土宗で大切にされている法要ですが、龍光寺さんのお十夜は地域のお祭りにもなっているようで、境内には露店が建ち並び、大勢の老若男女が楽しそうに行き来していました。
昼の法要の前には、富岡製糸場から龍光寺さんまでの稚児道中があります。雅楽の僧侶と副住職、お寺の幼稚園児のお稚児さんとともに、ちゃっかりこちらにも混ぜていただきました (^_^;)
お寺に戻り午後と夕方には法要があります。
法要だけでなく、太鼓の演奏や合気道の演舞、幼稚園児の稚児舞や浄土宗の大数珠繰り(楽しい)、そして法話があり、本当に盛大なお祭りをどっぷりと楽しませていただきました。
以下は友人である副住職撮影の写真です。
雰囲気のある写真が多いので、じっくりお楽しみください (^人^)
夕暮れ時を迎えると、境内はいよいよ賑やかに。
太鼓パフォーマンスグループ、秋桜さんの迫力ある演奏。
可愛らしい稚児舞。この時は本堂は親御さんや祖父母さんで満堂だったのですが…
法話の頃にはス〜っと人波が引けていきます(涙)
でも残って聞いてくださる方は、熱心に耳を傾けてくださいました。
浄土宗の数珠繰り。やっているうちに、なんだか楽しくなってしまいます。
2019年11月の法語 [月々の法語]
真の知識にあうことは かたきがなかに なおかたし
To encounter a true teacher is difficult even among difficult things.
今年の法語カレンダーは親鸞聖人のさまざまな著書から言葉が引かれており、11月は親鸞聖人の直接の師である法然上人について詠まれた和讃です。
<解説>
和讃4行のうち、前半2行がカレンダーに掲載されていますので、まず全体を見てみましょう。
真の知識にあうことは かたきがなかに なおかたし
流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりに しくぞなき
現代語訳は以下のようになります。
法然上人のような、仏法の真実の指導者に出会うことは、困難中の困難である。
いつまでも、際限もなく迷いの世界をへめぐるのは、本願を疑う心が第一の障害になっているからだ。
この和讃は、浄土高僧和讃の源空(法然)讃にあるものですので、「真の知識」は法然上人のことであることは間違いありません。知識とは善知識ともいい、師を指す言葉ですので、真の師に出逢えることは、難しいことの中でも特に難しいことだと前半に書かれています。
そして後半は、その「師」に出逢えなかった者の状態を指しているようです。
つまり、浄土往生が出来ず、いつまでも流転輪廻をしてしまうのは、阿弥陀仏の本願を疑う心が障害になっていると書かれています。
「しく」とは「匹敵」の意味で、「しくぞなき」は「匹敵するものがない」という意味になります。
お経や本を読めば、仏法そのものに触れることは可能です。
しかし善知識に出逢わなければ、それがなかなか自分の血肉になっていかないという心情を表しているように思えます。
親鸞聖人は9歳で出家をされ、それから20年間も比叡山で修行に明け暮れましたが、自分自身がどのように救われていくのかが見出せず、煩悶としていました。
しかし29歳の時、市井で念仏の教えを説く法然上人に出逢い、そこから大きく人生が転換していきました。
To encounter a true teacher is difficult even among difficult things.
今年の法語カレンダーは親鸞聖人のさまざまな著書から言葉が引かれており、11月は親鸞聖人の直接の師である法然上人について詠まれた和讃です。
<解説>
和讃4行のうち、前半2行がカレンダーに掲載されていますので、まず全体を見てみましょう。
真の知識にあうことは かたきがなかに なおかたし
流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりに しくぞなき
現代語訳は以下のようになります。
法然上人のような、仏法の真実の指導者に出会うことは、困難中の困難である。
いつまでも、際限もなく迷いの世界をへめぐるのは、本願を疑う心が第一の障害になっているからだ。
この和讃は、浄土高僧和讃の源空(法然)讃にあるものですので、「真の知識」は法然上人のことであることは間違いありません。知識とは善知識ともいい、師を指す言葉ですので、真の師に出逢えることは、難しいことの中でも特に難しいことだと前半に書かれています。
そして後半は、その「師」に出逢えなかった者の状態を指しているようです。
つまり、浄土往生が出来ず、いつまでも流転輪廻をしてしまうのは、阿弥陀仏の本願を疑う心が障害になっていると書かれています。
「しく」とは「匹敵」の意味で、「しくぞなき」は「匹敵するものがない」という意味になります。
お経や本を読めば、仏法そのものに触れることは可能です。
しかし善知識に出逢わなければ、それがなかなか自分の血肉になっていかないという心情を表しているように思えます。
親鸞聖人は9歳で出家をされ、それから20年間も比叡山で修行に明け暮れましたが、自分自身がどのように救われていくのかが見出せず、煩悶としていました。
しかし29歳の時、市井で念仏の教えを説く法然上人に出逢い、そこから大きく人生が転換していきました。
そのご経験が、この和讃に込められているように感じます。
<私のあじわい>
先日、私のFacebookの知人から相談がありました。
西日本在住の男性で、Aさんとしておきましょう。
その方は、すでに法名もいただいている熱心な浄土真宗の門徒さんで、時々メッセージでやり取りをしていました。
そのAさんからの相談は、彼がもともと暴力団員であったこと。15年も前にきっぱりと足を洗ったが、過去を隠して生きることがつらく、それを周囲に知らせたいと考えているという内容でした。
実際に昔使っていた名刺も見せていただきましたが、いかにも恐ろしい雰囲気のものでした。
詳しく話を伺うと、ずいぶん前ですが暴力団員であった時は、少なくない他人様を不幸にしたり、人生を狂わせてしまったのだそうです。そんな自分が「仏教者です」と生きていることが許されないのではないかと苦しんでいらっしゃいました。
深い苦悩だと感じました。
仏教に「慚愧」という言葉があります。
「慚」は自らを恥じ、自ら罪を作らないこと。
「愧」は罪を恥じる思いが外に向かい、他人にも罪を作らせないという意味です。
仏説観無量寿経というお経の登場人物、アジャセ王子は父王を殺して王位に着きました。しかしその後、父を殺した罪の意識に苦しみました。
そのアジャセに側近が「あなたは確かに父を殺害したが、慚愧の念を持ったのは善いことです。なぜなら、慚愧を持たぬ者は人ではないからです」と告げたのです。
Aさんが暴力団員だった当時、逮捕されて刑務所に入っていたそうですが、その間にお姉さまが自死をなさったのだそうです。当然、枕元に駆けつけることも葬儀に参列することもできません。
Aさんは菩提寺の住職に手紙を出しました。すると末期癌で歩くのも困難な状態の住職が面会に来てくれ、経本を開き「お姉さんは諸仏になられた」と言ってくれました。
1ヶ月ほどして住職が亡くなると、跡を継いで住職となった息子さんが面会に来てくれ、また服役中に手紙のやり取りを続けてくれたそうです。
その時はAさんは暴力団員であることを隠していましたが、若住職はそれを知っていて、周囲からは「関わらない方がいい」と言われながらも、「それはできない」とはねつけ関わり続けてくださったのです。
Aさんは暴力団員として生きていたころに仏教に出逢っていたとしても、「なんだ、こんなもの」と一顧だにすらしなかったしなかったかもしれません。
しかしお姉さまの死、そして末期のご住職と周囲の反対をはねつけた若住職が善知識となって、Aさんの歩む道を大きく変えてくださったのです。
Aさんは今、過去に犯した罪に苦しんでいます。
もし暴力団員のままであったら、その苦しみは生じなかったかもしれません。
しかしこの苦しみは、「人」としての苦しみです。
仏さまの教えが善知識を通してAさんを人たらしめた故に生じた苦しみです。だからこの苦しみは、Aさんにとってかけがえのない宝物だと言えるでしょう。
Aさんは今、仕事のかたわら、大切な人が服役している方の相談を受ける活動をなさっています。
<私のあじわい>
先日、私のFacebookの知人から相談がありました。
西日本在住の男性で、Aさんとしておきましょう。
その方は、すでに法名もいただいている熱心な浄土真宗の門徒さんで、時々メッセージでやり取りをしていました。
そのAさんからの相談は、彼がもともと暴力団員であったこと。15年も前にきっぱりと足を洗ったが、過去を隠して生きることがつらく、それを周囲に知らせたいと考えているという内容でした。
実際に昔使っていた名刺も見せていただきましたが、いかにも恐ろしい雰囲気のものでした。
詳しく話を伺うと、ずいぶん前ですが暴力団員であった時は、少なくない他人様を不幸にしたり、人生を狂わせてしまったのだそうです。そんな自分が「仏教者です」と生きていることが許されないのではないかと苦しんでいらっしゃいました。
深い苦悩だと感じました。
仏教に「慚愧」という言葉があります。
「慚」は自らを恥じ、自ら罪を作らないこと。
「愧」は罪を恥じる思いが外に向かい、他人にも罪を作らせないという意味です。
仏説観無量寿経というお経の登場人物、アジャセ王子は父王を殺して王位に着きました。しかしその後、父を殺した罪の意識に苦しみました。
そのアジャセに側近が「あなたは確かに父を殺害したが、慚愧の念を持ったのは善いことです。なぜなら、慚愧を持たぬ者は人ではないからです」と告げたのです。
Aさんが暴力団員だった当時、逮捕されて刑務所に入っていたそうですが、その間にお姉さまが自死をなさったのだそうです。当然、枕元に駆けつけることも葬儀に参列することもできません。
Aさんは菩提寺の住職に手紙を出しました。すると末期癌で歩くのも困難な状態の住職が面会に来てくれ、経本を開き「お姉さんは諸仏になられた」と言ってくれました。
1ヶ月ほどして住職が亡くなると、跡を継いで住職となった息子さんが面会に来てくれ、また服役中に手紙のやり取りを続けてくれたそうです。
その時はAさんは暴力団員であることを隠していましたが、若住職はそれを知っていて、周囲からは「関わらない方がいい」と言われながらも、「それはできない」とはねつけ関わり続けてくださったのです。
Aさんは暴力団員として生きていたころに仏教に出逢っていたとしても、「なんだ、こんなもの」と一顧だにすらしなかったしなかったかもしれません。
しかしお姉さまの死、そして末期のご住職と周囲の反対をはねつけた若住職が善知識となって、Aさんの歩む道を大きく変えてくださったのです。
Aさんは今、過去に犯した罪に苦しんでいます。
もし暴力団員のままであったら、その苦しみは生じなかったかもしれません。
しかしこの苦しみは、「人」としての苦しみです。
仏さまの教えが善知識を通してAさんを人たらしめた故に生じた苦しみです。だからこの苦しみは、Aさんにとってかけがえのない宝物だと言えるでしょう。
Aさんは今、仕事のかたわら、大切な人が服役している方の相談を受ける活動をなさっています。
おこころざし [布教所日記]
11月の法話会、昼の部が終わった頃、なごみ庵に1人の男性が訪ねていらっしゃいました。
スーツ姿ですが、お坊さんらしい雰囲気の方です。
何のご用だろうと話を伺うと、やはり町田にある禅宗のお寺の僧侶とのこと。
先日托鉢をし、その一部を私が所属する「自死・自殺に向き合う僧侶の会」に役立てていただきたい、とお持ちくださったのです。
ご苦労なさってお預かりになったであろう浄財を、こうしてお持ちくださる。
とても有り難く、また心が暖かくなりました。
また、まるで昔話のような話だな、とも感じました (^_^;)
12月1日は自死者追悼の大法要があります。
私たち会員だけでなく、多くの人に支えられて開催できることを、改めて有り難く思いました。
スーツ姿ですが、お坊さんらしい雰囲気の方です。
何のご用だろうと話を伺うと、やはり町田にある禅宗のお寺の僧侶とのこと。
先日托鉢をし、その一部を私が所属する「自死・自殺に向き合う僧侶の会」に役立てていただきたい、とお持ちくださったのです。
ご苦労なさってお預かりになったであろう浄財を、こうしてお持ちくださる。
とても有り難く、また心が暖かくなりました。
また、まるで昔話のような話だな、とも感じました (^_^;)
12月1日は自死者追悼の大法要があります。
私たち会員だけでなく、多くの人に支えられて開催できることを、改めて有り難く思いました。
六字名号 南无阿弥陀佛 [布教所日記]
2019年6月に、真宗高田派の第24世 常磐井 鸞猷(ときわい らんゆう)前法主さまの記された書が なごみ庵にご寄贈いただきました。
https://753an.blog.ss-blog.jp/2019-06-28
今回はそれに続き、幕末から明治、大正の時代に法主をお務めになられた第21世 常磐井 堯熙(ときわい ぎょうき)上人の記された六字名号(南无阿弥陀佛)をご寄贈いただきました。
いわゆる「なむあみだぶつ」のお念仏ですが、2文字目は「無」の異体字「无」になっています。知らずに読むと天国の「天」に見えますが、形が微妙に違います
6字目の「仏」も旧字の「佛」になっています。
表装を含めると私の身長(180cm)ぐらいありますので、小さな なごみ庵だとなかなか飾れませんが、大切な寺宝がまたひとつ増えました。
前回も感じたことですが、真宗高田派を離れることになった私に真宗高田派の大切なものをお贈りいただくのは、何か暖かく強い思いを感じます。
ちなみに常磐井堯熙上人は…
シ、シブイ……
絵像ですから完全にこのお姿というわけではないかもしれませんが、ヒゲが白くなっているので晩年、明治末期か大正に入った頃に描かれたものと推察できます。ですので実際のお姿に非常に近いと思われます。
https://753an.blog.ss-blog.jp/2019-06-28
今回はそれに続き、幕末から明治、大正の時代に法主をお務めになられた第21世 常磐井 堯熙(ときわい ぎょうき)上人の記された六字名号(南无阿弥陀佛)をご寄贈いただきました。
いわゆる「なむあみだぶつ」のお念仏ですが、2文字目は「無」の異体字「无」になっています。知らずに読むと天国の「天」に見えますが、形が微妙に違います
6字目の「仏」も旧字の「佛」になっています。
表装を含めると私の身長(180cm)ぐらいありますので、小さな なごみ庵だとなかなか飾れませんが、大切な寺宝がまたひとつ増えました。
前回も感じたことですが、真宗高田派を離れることになった私に真宗高田派の大切なものをお贈りいただくのは、何か暖かく強い思いを感じます。
ちなみに常磐井堯熙上人は…
シ、シブイ……
絵像ですから完全にこのお姿というわけではないかもしれませんが、ヒゲが白くなっているので晩年、明治末期か大正に入った頃に描かれたものと推察できます。ですので実際のお姿に非常に近いと思われます。
なごみ庵 法人化記念行事 [布教所日記]
2019年12月8日(日)13時
東神奈川かなっくホールにて、なごみ庵の法人化記念行事を開催する運びとなりました。
平成18年に横浜市神奈川区の借家の一室から始まった なごみ庵。
13年の年月を経て、令和で全国初のお寺となりました。
それを記念する行事で、特別講演のご講師にはNHKシブ5時でお馴染みの釈徹宗さんにおいでいただけることになりました。
横浜市営の300名入る大きなホールですので、ご縁のある方はぜひおいでいただければと思いますし、また興味を持っていただけそうな方にお知らせいただければ有り難いです。
このホール、人気が高く10月、11月と抽選に外れ続けました。
5月に法人化したので、なんとか年内に……と祈るような気持ちで12月も応募したところ8日が当選しました。
12月8日はお釈迦さまが悟りを開かれた「成道会」で、また毎年12月第2日曜日は報恩講(親鸞聖人の命日法要)を勤めていましたので、これもご縁だったのかな…と感じています。
多くの方と喜びを分かち合いたいと思いますし、また関西在住の釈徹宗先生のお話を生でお聴きできる良い機会ですので、ご来場や情報の伝達など、重ねてお願い申し上げます。
チラシの全体はコチラ
東神奈川かなっくホールにて、なごみ庵の法人化記念行事を開催する運びとなりました。
平成18年に横浜市神奈川区の借家の一室から始まった なごみ庵。
13年の年月を経て、令和で全国初のお寺となりました。
それを記念する行事で、特別講演のご講師にはNHKシブ5時でお馴染みの釈徹宗さんにおいでいただけることになりました。
横浜市営の300名入る大きなホールですので、ご縁のある方はぜひおいでいただければと思いますし、また興味を持っていただけそうな方にお知らせいただければ有り難いです。
このホール、人気が高く10月、11月と抽選に外れ続けました。
5月に法人化したので、なんとか年内に……と祈るような気持ちで12月も応募したところ8日が当選しました。
12月8日はお釈迦さまが悟りを開かれた「成道会」で、また毎年12月第2日曜日は報恩講(親鸞聖人の命日法要)を勤めていましたので、これもご縁だったのかな…と感じています。
多くの方と喜びを分かち合いたいと思いますし、また関西在住の釈徹宗先生のお話を生でお聴きできる良い機会ですので、ご来場や情報の伝達など、重ねてお願い申し上げます。
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秋のバス旅行♬ [布教所日記]
近所の甚行寺さんとご一緒させていただく秋のバスツアー。
今年は茨城県の牛久大仏、千葉県の成田山新勝寺と国立歴史民俗博物館と盛りだくさんの旅程です。
しかし9月の台風15号、そして10月の台風19号で被害を受けた地域でもあるので、直前まで行くことが出来るかどうか検討していましたが、訪問先は大きな被害を受けていないということ。また被災地域に行ってお金を使うことも支援に繋がるということで、予定通りの出発となりました。
さて、順番は前後しますが最初の画像は…
令和元年の5月7日に宗教法人の認可を受けた なごみ庵ですが、このたび宗教活動の一環としておそば屋さんを始めることになりました。ウソ。
成田山新勝寺の近くにある和菓子屋さん、米屋さんが運営する観光センターで昼食をいただいたのですが、その1階にあったお店を見て一同騒然。これはもう写真を撮るしかないでしょうとなりましたが、店員さんには「何故ここで写真を?」という目で見られてしまいました(笑)
さて、順序は変わって最初に訪れた牛久大仏。
鎌倉や奈良の大仏と違い、1986年着工→1992年完成という現代のものです。
ですのでとにかくデカいですし、中はエレベーターになっています。
建物(大仏)内の貼り紙がシュールでした。
大仏三階(笑)
さて、なかなか大仏の大きさが伝わりませんので、大仏の内部にあった原寸大の右足親指。
坊守が156cmぐらいですので、その大きさが伝わるかと思います。
他にも大きさが伝わる画像が無いかな〜と思って探してみたら、好みのものがありました。
牛久大仏は台座20メートル+本体100メートルの大きさ。
ガンダムは台座にも足りませんし、ファーストガンダム最大のモビルアーマー、ビグ・ザムですら半分程度。もし牛久大仏が動いて戦ったら……そんな余計な想像を止めることが出来ませんでした(苦笑)。
最後に訪れた千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館。
訪問前は地味な印象でしたが、さすが国立なだけあって非常にスケールの大きい博物館です。全館を見るには全く時間が足りず、途中から駆け足で回りましたが半分ほどしか見ることができませんでした。
参加者も多く、楽しい秋のバスツアーでした (^人^)
今年は茨城県の牛久大仏、千葉県の成田山新勝寺と国立歴史民俗博物館と盛りだくさんの旅程です。
しかし9月の台風15号、そして10月の台風19号で被害を受けた地域でもあるので、直前まで行くことが出来るかどうか検討していましたが、訪問先は大きな被害を受けていないということ。また被災地域に行ってお金を使うことも支援に繋がるということで、予定通りの出発となりました。
さて、順番は前後しますが最初の画像は…
令和元年の5月7日に宗教法人の認可を受けた なごみ庵ですが、このたび宗教活動の一環としておそば屋さんを始めることになりました。ウソ。
成田山新勝寺の近くにある和菓子屋さん、米屋さんが運営する観光センターで昼食をいただいたのですが、その1階にあったお店を見て一同騒然。これはもう写真を撮るしかないでしょうとなりましたが、店員さんには「何故ここで写真を?」という目で見られてしまいました(笑)
さて、順序は変わって最初に訪れた牛久大仏。
鎌倉や奈良の大仏と違い、1986年着工→1992年完成という現代のものです。
ですのでとにかくデカいですし、中はエレベーターになっています。
建物(大仏)内の貼り紙がシュールでした。
大仏三階(笑)
さて、なかなか大仏の大きさが伝わりませんので、大仏の内部にあった原寸大の右足親指。
坊守が156cmぐらいですので、その大きさが伝わるかと思います。
他にも大きさが伝わる画像が無いかな〜と思って探してみたら、好みのものがありました。
牛久大仏は台座20メートル+本体100メートルの大きさ。
ガンダムは台座にも足りませんし、ファーストガンダム最大のモビルアーマー、ビグ・ザムですら半分程度。もし牛久大仏が動いて戦ったら……そんな余計な想像を止めることが出来ませんでした(苦笑)。
最後に訪れた千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館。
訪問前は地味な印象でしたが、さすが国立なだけあって非常にスケールの大きい博物館です。全館を見るには全く時間が足りず、途中から駆け足で回りましたが半分ほどしか見ることができませんでした。
参加者も多く、楽しい秋のバスツアーでした (^人^)
2019年11月号 [和庵だより]
◇ キリスト教の終活フェア出演 ◇
10月14日、台風19号が過ぎ去った東京大田区蒲田の産業プラザPioで「キリスト教目線から考えるライフエンディングフェア2019」というイベントが開催され、なぜか仏教僧侶の私がパネルディスカッションの場に登壇することになりました。
色々と準備した上で話す講演と違い、こうした形式は慣れていません。しかも会場は基本的にクリスチャンの方ばかりでしょうし、またご高名な宗教学者の島田裕巳先生(写真右から2番目)、東京基督教大学 神学部学部長の大和昌平先生(右から3番目)、進行役としてキリスト教新聞社社長の松谷信司さん(左端)と一緒の登壇と、何もかも勝手が違う環境でした。
しかし、事前に登壇者と昼食をご一緒しながらお話ししてリラックスでき、また なごみ庵でも告知していましたので7名さまほど応援団がいらしてくださり、心強さを感じました。
パネルディスカッションに先立ち島田先生の講演がありました。島田先生は『葬式は、要らない』や『戒名は、自分で決める』という本を出されていて、お坊さんには大変不評を買っている方です(笑)。しかしお話ししている内容は、少し極端かなと思う部分はあるものの、時代が変われば物事も変わっていくという、まさに諸行無常と感じるものでした。
そして牧師でもある大和先生ですが、もともとは浄土真宗の信仰篤い祖母に育てられた影響で親鸞聖人への尊敬の念がおありとのこと、また京都の佛教大学・大学院で学ばれ、仏教にとても造詣の深い方です。現在大学では東洋思想を受け持ち、なんと親鸞聖人の語録である『歎異抄』を扱っているとのこと。なごみ庵の法話会でも昨年から今年にかけて『歎異抄』を扱いましたが、キリスト者がどうお話しされるのか、ぜひ一度お聴きしてみたいと強く思いました。
◎ お 知 ら せ ◎
◎おてランチ〜語らい&味わい〜 11月19日(火)11時より 参加費1000円
最近あった楽しいことや悲しいこと、驚いたことなどを話したり聴いたりして、その後は皆さんで美味しいカレーをいただきます。準備の都合上、出欠のお知らせをお願いします。
◎自死者追悼法要「いのちの日 いのちの時間 東京」12月1日(日)16時 築地本願寺にて
例年通り12月1日に築地本願寺で自死者追悼法要を開催いたします。
寺報をお送りしている皆さまはもちろん、親戚や友人でお身内が自死をなさって悩んだり苦しんだりしている方がいらしたら、資料をお渡しいたしますのでご連絡ください。
また、直接ご参加になれなくても、亡くなった方にメッセージを送り、お名前を奉読するための用紙がありますので、こちらもご連絡いただければお渡しをさせていただきます。
◎宗教法人化記念行事&報恩講 12月8日(日)13時 東神奈川かなっくホールにて
先般よりご案内の通り、今年の報恩講は なごみ庵の宗教法人化記念行事を兼ねて開催します。
ご講師はNHKシブ5時でお馴染みの釈徹宗さん、開式時間は13時です。 なごみ庵の縁人会員の皆さま、および同伴の方は事前予約可能です。300名入るホールですので、ぜひ皆さまご家族・ご友人などお誘いいただき、ご協力をお願いします。
◎インターネットで記事連載中
・方丈社マガジン「一人称、二人称、三人称の死をおもう」
http://hojosha.co.jp
・お寺のじかん「お寺はじめました」
https://www.otera-no-jikan.com
◦神之木地区センター写経会 11月5日(火)・19日(火) 18時30分
◦死の体験旅行
11月20日(月) 19時 豊島区 金剛院
12月19日(木) 18時30分 神奈川大学 生涯学習講座
◦自死遺族の集い 10月24日(木)・11月28日(木) 10時30分 築地本願寺にて
10月14日、台風19号が過ぎ去った東京大田区蒲田の産業プラザPioで「キリスト教目線から考えるライフエンディングフェア2019」というイベントが開催され、なぜか仏教僧侶の私がパネルディスカッションの場に登壇することになりました。
色々と準備した上で話す講演と違い、こうした形式は慣れていません。しかも会場は基本的にクリスチャンの方ばかりでしょうし、またご高名な宗教学者の島田裕巳先生(写真右から2番目)、東京基督教大学 神学部学部長の大和昌平先生(右から3番目)、進行役としてキリスト教新聞社社長の松谷信司さん(左端)と一緒の登壇と、何もかも勝手が違う環境でした。
しかし、事前に登壇者と昼食をご一緒しながらお話ししてリラックスでき、また なごみ庵でも告知していましたので7名さまほど応援団がいらしてくださり、心強さを感じました。
パネルディスカッションに先立ち島田先生の講演がありました。島田先生は『葬式は、要らない』や『戒名は、自分で決める』という本を出されていて、お坊さんには大変不評を買っている方です(笑)。しかしお話ししている内容は、少し極端かなと思う部分はあるものの、時代が変われば物事も変わっていくという、まさに諸行無常と感じるものでした。
そして牧師でもある大和先生ですが、もともとは浄土真宗の信仰篤い祖母に育てられた影響で親鸞聖人への尊敬の念がおありとのこと、また京都の佛教大学・大学院で学ばれ、仏教にとても造詣の深い方です。現在大学では東洋思想を受け持ち、なんと親鸞聖人の語録である『歎異抄』を扱っているとのこと。なごみ庵の法話会でも昨年から今年にかけて『歎異抄』を扱いましたが、キリスト者がどうお話しされるのか、ぜひ一度お聴きしてみたいと強く思いました。
◎ お 知 ら せ ◎
◎おてランチ〜語らい&味わい〜 11月19日(火)11時より 参加費1000円
最近あった楽しいことや悲しいこと、驚いたことなどを話したり聴いたりして、その後は皆さんで美味しいカレーをいただきます。準備の都合上、出欠のお知らせをお願いします。
◎自死者追悼法要「いのちの日 いのちの時間 東京」12月1日(日)16時 築地本願寺にて
例年通り12月1日に築地本願寺で自死者追悼法要を開催いたします。
寺報をお送りしている皆さまはもちろん、親戚や友人でお身内が自死をなさって悩んだり苦しんだりしている方がいらしたら、資料をお渡しいたしますのでご連絡ください。
また、直接ご参加になれなくても、亡くなった方にメッセージを送り、お名前を奉読するための用紙がありますので、こちらもご連絡いただければお渡しをさせていただきます。
◎宗教法人化記念行事&報恩講 12月8日(日)13時 東神奈川かなっくホールにて
先般よりご案内の通り、今年の報恩講は なごみ庵の宗教法人化記念行事を兼ねて開催します。
ご講師はNHKシブ5時でお馴染みの釈徹宗さん、開式時間は13時です。 なごみ庵の縁人会員の皆さま、および同伴の方は事前予約可能です。300名入るホールですので、ぜひ皆さまご家族・ご友人などお誘いいただき、ご協力をお願いします。
◎インターネットで記事連載中
・方丈社マガジン「一人称、二人称、三人称の死をおもう」
http://hojosha.co.jp
・お寺のじかん「お寺はじめました」
https://www.otera-no-jikan.com
◦神之木地区センター写経会 11月5日(火)・19日(火) 18時30分
◦死の体験旅行
11月20日(月) 19時 豊島区 金剛院
12月19日(木) 18時30分 神奈川大学 生涯学習講座
◦自死遺族の集い 10月24日(木)・11月28日(木) 10時30分 築地本願寺にて
ライフエンディングフェア2019 [その他色々]
キリスト教葬儀専門の葬儀社、創世ライフワークス社主催の終活イベント、「キリスト教目線から考えるライフエンディングフェア2019」に登壇させていただきました。
第1部は宗教学者の「あの」島田裕巳先生による講演「2015年問題から考えるキリスト教葬儀の可能性!?」です。
「あの」と書いたのは、島田先生の著書には『葬式は、要らない』や『戒名は、自分で決める』というものがあり、お坊さんにはすこぶる評判が悪いお方だからです(笑)。ちなみにご本人は、葬儀社にも不評だと仰っていました。
けれど事前に著作を読み、また当日講演を拝聴して思ったのは、島田先生は社会の変化とともに、今まで伝えられてきたものも変化していかざるを得ないという、まさに仏教で説く「諸行無常」について仰っているのだということでした。
問題提起のためか少し極端かなと思う論説もあり、また出版社の意向で過激なタイトルにされてしまったものの、お話しそのものは否定するようなものではなく、襟を正してお聴きしなければならない内容だと感じました。
私の出番は第2部のパネルディスカッション、テーマは「変わりゆく葬送文化におけるキリスト教葬儀の意義」というテーマで、私はここに仏教者として登壇いたしました。
なにしろ基本的にはクリスチャンが多いであろう会場、しかも不慣れなパネリスト、しかも「あの」島田先生の隣の席とあって非常に緊張しました。
しかし事前の打ち合わせで島田先生とも忌憚なくお話をさせていただき、また同じくパネリストとして登壇した東京基督教大学 神学部学部長の大和昌平先生とも親しくお話しをさせていただき、出番の頃には少し緊張がほぐれました。
また、モデレーターを務めたキリスト教新聞社の松谷信司さん(イケメン)の差配で、思うところをお話させていただくことができました。
あっと言う間の75分間でしたが、印象的だったのは大和先生のお話です。
大和先生は浄土真宗の篤い信仰を持つ祖母の影響を受け育ちつつ、高校生の頃にクリスチャンになりました。しかし親鸞聖人への尊敬の念は持ち続け、一般大学・キリスト教の大学を出た後、なんと京都の佛教大学と大学院で学ばれます。
そして現在は東京基督教大学で東洋思想を教え、内容はなんと親鸞聖人の語録である『歎異抄』とのこと。また機会を設けてじっくりお話しさせていただきたい、そう思う出逢いになりました。
第1部は宗教学者の「あの」島田裕巳先生による講演「2015年問題から考えるキリスト教葬儀の可能性!?」です。
「あの」と書いたのは、島田先生の著書には『葬式は、要らない』や『戒名は、自分で決める』というものがあり、お坊さんにはすこぶる評判が悪いお方だからです(笑)。ちなみにご本人は、葬儀社にも不評だと仰っていました。
けれど事前に著作を読み、また当日講演を拝聴して思ったのは、島田先生は社会の変化とともに、今まで伝えられてきたものも変化していかざるを得ないという、まさに仏教で説く「諸行無常」について仰っているのだということでした。
問題提起のためか少し極端かなと思う論説もあり、また出版社の意向で過激なタイトルにされてしまったものの、お話しそのものは否定するようなものではなく、襟を正してお聴きしなければならない内容だと感じました。
私の出番は第2部のパネルディスカッション、テーマは「変わりゆく葬送文化におけるキリスト教葬儀の意義」というテーマで、私はここに仏教者として登壇いたしました。
なにしろ基本的にはクリスチャンが多いであろう会場、しかも不慣れなパネリスト、しかも「あの」島田先生の隣の席とあって非常に緊張しました。
しかし事前の打ち合わせで島田先生とも忌憚なくお話をさせていただき、また同じくパネリストとして登壇した東京基督教大学 神学部学部長の大和昌平先生とも親しくお話しをさせていただき、出番の頃には少し緊張がほぐれました。
また、モデレーターを務めたキリスト教新聞社の松谷信司さん(イケメン)の差配で、思うところをお話させていただくことができました。
あっと言う間の75分間でしたが、印象的だったのは大和先生のお話です。
大和先生は浄土真宗の篤い信仰を持つ祖母の影響を受け育ちつつ、高校生の頃にクリスチャンになりました。しかし親鸞聖人への尊敬の念は持ち続け、一般大学・キリスト教の大学を出た後、なんと京都の佛教大学と大学院で学ばれます。
そして現在は東京基督教大学で東洋思想を教え、内容はなんと親鸞聖人の語録である『歎異抄』とのこと。また機会を設けてじっくりお話しさせていただきたい、そう思う出逢いになりました。
2019年10月の法語 [月々の法語]
「信心」というは、すなわち本願力回向の信心なり
Shinjin is the entrusting heart that is directed to beings through the power of the Primal Vow.
今年の法語カレンダーは親鸞聖人のさまざまな著書から言葉が引かれており、10月は親鸞聖人の主著である『顕浄土真実教行証文類』からの一節です。
<解説>
一般には『教行信証』という略された題で知られる親鸞聖人の主著ですが、教・行・信・証・真仏土・化身土の6巻に分かれています。今月の言葉は3つ目の信巻に書かれており、『仏説無量寿経』という経典に記されている言葉を次々と解説する内容の一部が抜き出されています。
信心というと通常は、自分自身が神仏を信じる心を起こしている、あるいは胸に抱いているという意味で捉えている方が多いかと思います。しかし親鸞聖人はその信心を「本願力回向の信心なり」つまり「阿弥陀如来の本願の力から与えられた信心なのですよ」とおっしゃっています。
自分自身が阿弥陀如来を信じる心すら仏さまから与えられたものだという受け止めは、「絶対他力」と表現される親鸞聖人の思想の真骨頂と言えるでしょう。
<私のあじわい>
先日、相模原市の「市民・大学交流センター」という場所で「死」をテーマにお話をさせていただきました。1時間の話を終え、質疑応答に移ると数名の方からいろいろと質問をいただきました。その中で60代ぐらいと思われる男性から「死んだらどうなるのですか?」と尋ねられました。
ハッキリ言って困りました。だって死んだことありませんので「こうですよ」とは言えないわけです。でも「講釈師、見てきたようなウソをつき」という言葉がありますが、僧侶も見てきたように極楽浄土の様子を話すわけです。ですので私はその男性に「西の彼方にある極楽浄土に、仏さまとなって生まれていくと聞いております」と極めて教科書的な答え方をしました。
すると男性からは「そういう話じゃなくって」と返ってきたのです。言葉に込められたニュアンスとしては、「そんなおとぎ話のようなことは聞いてない」というふうに感じられました。
でも実は私は、「この世での命を終えると、仏となって極楽浄土に生まれていく」と信じているのです。もちろん実際に地球上にそういう場所が実在したり、仏という存在が生身の身体を持って存在するという信じ方はしていません。何と言葉に表したらよいか分かりませんが、漠然としつつ、でも確固として信じているのです。
前提が違う両者の問答ですから不完全燃焼で終わってしまいましたが、私としてはすっきりしません。自分が何故、一般的な現代人がおとぎ話のようだとすら思ってしまう話を信じていられるのか考えてみました。すると思い当たったのが、親鸞聖人の主著に書かれている「教行信証」だったのです。
一般的な仏教では、僧侶は正式な書名の順で悟りを得るとされています。つまり「教(教え)」があり、「行(修行)」を重ね、「証(悟り)」に至るという順番です。しかし親鸞聖人は、行と証の間に「信」を入れました。親鸞聖人は「信」ということを、とても大切に捉えていたのです。
自分になぞらえると、まず本を読んだり東京仏教学院に通ったりして「教」を学びました。そして毎朝尊前で手を合わせ、お経を上げお念仏を称えていますが、これが「行」です。そうした日々の「行」が、知らず知らず「信」を育んでいるのではないかと思い当たりました。
喩えると、野球をしたことがない人がイチローからバッティングの理論を聞かされ、バットを渡され「さあ、打ってみなさい」と言われてもバットはボールにかすりもしないでしょう。
しかし教えてもらった理論を胸に、毎日毎日バットの素振りを何年も繰り返して再びバッターボックスに立ったらどうでしょう。もちろん素振りだけでポンポン打てるようになるわけではないでしょうが、しかし最初に打席に立った時とは明らかに違い、「打てそうだ」という感覚が得られると思います。
質問をした男性と自分に何か違いがあるとすれば、こういうことだったのではないかと思い至りました。そして、これも感覚的な話になるのですが、私はこんな自分になったことを「自分のおかげ」とは思えません。もちろん勉強したりよほど体調が悪くなければ毎朝のお経を上げたりと、自分で努力をしていないわけではないのですが、それでも全て自分の手柄だとは思えないのです。
自分の努力や判断を超えたことに動かされ、今の自分になっている。だからこそ「仏さまとなって浄土に往く」と信じるこの気持ちも、親鸞聖人が説かれたように「仏さまから回向されたもの」と受け止められているのかもしれません。
Shinjin is the entrusting heart that is directed to beings through the power of the Primal Vow.
今年の法語カレンダーは親鸞聖人のさまざまな著書から言葉が引かれており、10月は親鸞聖人の主著である『顕浄土真実教行証文類』からの一節です。
<解説>
一般には『教行信証』という略された題で知られる親鸞聖人の主著ですが、教・行・信・証・真仏土・化身土の6巻に分かれています。今月の言葉は3つ目の信巻に書かれており、『仏説無量寿経』という経典に記されている言葉を次々と解説する内容の一部が抜き出されています。
信心というと通常は、自分自身が神仏を信じる心を起こしている、あるいは胸に抱いているという意味で捉えている方が多いかと思います。しかし親鸞聖人はその信心を「本願力回向の信心なり」つまり「阿弥陀如来の本願の力から与えられた信心なのですよ」とおっしゃっています。
自分自身が阿弥陀如来を信じる心すら仏さまから与えられたものだという受け止めは、「絶対他力」と表現される親鸞聖人の思想の真骨頂と言えるでしょう。
<私のあじわい>
先日、相模原市の「市民・大学交流センター」という場所で「死」をテーマにお話をさせていただきました。1時間の話を終え、質疑応答に移ると数名の方からいろいろと質問をいただきました。その中で60代ぐらいと思われる男性から「死んだらどうなるのですか?」と尋ねられました。
ハッキリ言って困りました。だって死んだことありませんので「こうですよ」とは言えないわけです。でも「講釈師、見てきたようなウソをつき」という言葉がありますが、僧侶も見てきたように極楽浄土の様子を話すわけです。ですので私はその男性に「西の彼方にある極楽浄土に、仏さまとなって生まれていくと聞いております」と極めて教科書的な答え方をしました。
すると男性からは「そういう話じゃなくって」と返ってきたのです。言葉に込められたニュアンスとしては、「そんなおとぎ話のようなことは聞いてない」というふうに感じられました。
でも実は私は、「この世での命を終えると、仏となって極楽浄土に生まれていく」と信じているのです。もちろん実際に地球上にそういう場所が実在したり、仏という存在が生身の身体を持って存在するという信じ方はしていません。何と言葉に表したらよいか分かりませんが、漠然としつつ、でも確固として信じているのです。
前提が違う両者の問答ですから不完全燃焼で終わってしまいましたが、私としてはすっきりしません。自分が何故、一般的な現代人がおとぎ話のようだとすら思ってしまう話を信じていられるのか考えてみました。すると思い当たったのが、親鸞聖人の主著に書かれている「教行信証」だったのです。
一般的な仏教では、僧侶は正式な書名の順で悟りを得るとされています。つまり「教(教え)」があり、「行(修行)」を重ね、「証(悟り)」に至るという順番です。しかし親鸞聖人は、行と証の間に「信」を入れました。親鸞聖人は「信」ということを、とても大切に捉えていたのです。
自分になぞらえると、まず本を読んだり東京仏教学院に通ったりして「教」を学びました。そして毎朝尊前で手を合わせ、お経を上げお念仏を称えていますが、これが「行」です。そうした日々の「行」が、知らず知らず「信」を育んでいるのではないかと思い当たりました。
喩えると、野球をしたことがない人がイチローからバッティングの理論を聞かされ、バットを渡され「さあ、打ってみなさい」と言われてもバットはボールにかすりもしないでしょう。
しかし教えてもらった理論を胸に、毎日毎日バットの素振りを何年も繰り返して再びバッターボックスに立ったらどうでしょう。もちろん素振りだけでポンポン打てるようになるわけではないでしょうが、しかし最初に打席に立った時とは明らかに違い、「打てそうだ」という感覚が得られると思います。
質問をした男性と自分に何か違いがあるとすれば、こういうことだったのではないかと思い至りました。そして、これも感覚的な話になるのですが、私はこんな自分になったことを「自分のおかげ」とは思えません。もちろん勉強したりよほど体調が悪くなければ毎朝のお経を上げたりと、自分で努力をしていないわけではないのですが、それでも全て自分の手柄だとは思えないのです。
自分の努力や判断を超えたことに動かされ、今の自分になっている。だからこそ「仏さまとなって浄土に往く」と信じるこの気持ちも、親鸞聖人が説かれたように「仏さまから回向されたもの」と受け止められているのかもしれません。