「戦争とお盆」

 夏と言えばお盆の季節です。お盆は本来七月十五日ですが、旧暦から新暦への移行時の混乱などで、どちらかというと八月十五日(旧盆・月遅れ盆)の方がお盆のイメージが強い、という方も多いのではないでしょうか。

 ここにもうひとつ要因があるとすれば、日本の終戦記念日(敗戦記念日)が八月十五日であるという事です。軍民問わず多くの戦死者を出した太平洋戦争を最後に、日本は直接戦争に関わっていません。それまでの戦争を含め、八月十五日の終戦記念日が、戦争で亡くなった人を偲ぶ象徴的な日になっているように思います。
 また、餓鬼として苦しむ亡母を救う、という盂蘭盆経の内容が、戦争で苦しんで亡くなっていった人々を悼む事と重なるのかもしれません。


 なごみ庵の八月法話会は、盂蘭盆会法要並びに全戦没者追悼法要としてお勤めをしようと思います。私自身は、親しい人や縁の深い人を戦争でなくした直接経験はありません。しかし親からは、戦時中の苦しい生活の話はよく聞いています。また念仏者九条の会に賛同していることもあり、終戦記念日を縁として平和について考える会にしたいと思います。

 とは言っても特別な事は行いません。お経、法話、茶話会といういつもの流れです。お気軽にご参加下さい。


仏教のことば「非戦」

 非戦という言葉は、おそらく古くからの仏教語というわけではないと思います。戦争を否定し、国際問題を解決する手段として戦争を選ばない、という決意を表すのが「非戦」です。

 似た言葉として不戦という言葉もあります。辞書で調べてみると、「不」にも「非」にも打ち消し・否定の意味があります。ただ「非」にはさらに「道理に反する事・正しくない事」という意味があります。
 ただ戦争を否定するだけではなく、道理に反する正しくない事として、より強く否定をするのが「非戦」という言葉になるかと思います。

 不戦・非戦と言っても色々な考え方があるかと思います。「理想としてはわかるけど、周囲の国の事もあるし実際には難しいよね」「自衛隊を正式に軍と認め、国際的に貢献しなければ」「明日にでも全ての軍備を手離さなければ!」等、様々だと思います。どの意見にも、うなづかされる部分があります。
 ただひとつ、私の考えの核となるものがあるとすれば、それはお釈迦さまのこの言葉です。
  全ての者は暴力におびえ、
  全ての者は死を恐れる。
  我が身に引き当てて、
  殺してはならない、
  殺さしめてはならない。
         法句経