以前、愛知のO住職から送って頂いたDVDを、やっと見る事が出来ました。なんでも岐阜でカウンセリングに携わっているご住職の出演された番組の録画だそうです。
- カウンセリング
ディスクを再生デッキに入れると、音声CDとして認識。番組の録画(録音)と聞いていたのでテレビと勘違いしていましたが、ラジオだったようです (^_^;)
NHK「宗教の時間」の録音で、本願寺派の住職 譲 西賢師がゲスト、タイトルは「煩悩から解放される時」です。
譲師は最初、仏教とカウンセリングは全くの別物だと思っていましたが、それが段々と一致してきたそうです。やがて「浄土真宗は心理療法を含んでいると思える」「阿弥陀仏の無条件の受け入れが、わかりやすく示されているのがカウンセリングルーム」という考えに至っています。
また、若い時には「クライエントの苦悩を取り去ってあげたい」と思っていたものが、やがて「その人がその人に成るため、その悩みが必要だったと思える境地」に達する事が大切だと考えるようになります。
人は、自分の思いを実現したいと願います。しかし、全ての思いが叶うわけではありません。思いと現実のギャップを、仏教では「苦」と捉えています。
誰もが自分の思いが叶うように願いますが、しかし願いが叶っている時の状態を譲師は「心塞意閉」と経典から引用しています。すなわち「心が閉ざされ、肩ひじを張った状態」という事です。
逆に思いが叶わぬ時を「今得値仏」と引用し、すなわち「阿弥陀仏のはたらきが届き、真実に目が開かれた状態」という事です。
自分の思い通りにならぬ事こそ、現実の姿だという事でしょう。
悩み・煩悩・苦からの解放には、現実を正面から見つめる事が必要だ、という事なのでしょうか。