☆仏教の言葉☆
「他力」(たりき)
テレビなどで「他力本願」という言葉が出る時は、十中八九間違った使われ方、つまり「自分で努力せず他人をあてにする」という使われ方をします。
しかし本来の意味は「他力(阿弥陀仏)の本願の意。仏教語。自らの修行の功徳によって悟りを得るのでなく、阿弥陀仏の本願によって救済されること。浄土教の言葉」(大辞泉)となります。
浄土真宗の教えの上で非常に大切な言葉なので、誤用されるのはとても悲しいことですし、事あるごとに「本来の意味はこうですよ」と解説してきましたが、上手く伝えるのが難しいのです。しかし、上記の新聞記事を読んで、これはお伝えしやすいエピソードではないかと思いました。
家族を全て失った女性が、悲しみを乗り越えて強く生きようとする姿。その彼女を讃える声に「私の手柄ではない」と謙虚に答える姿は、自らの力を過信して驕り高ぶるのではなく、努力をした上で結果を粛々と受け止める、他力的な生き方ではないでしょうか。
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関内ホールでの大仕事が終わったのもつかの間、四月前〜中盤は三重県の本山で親鸞聖人七百五十回大遠忌です。その中で、私たち夫婦の「恵信尼ものがたり」の上演、そして私の法話の出番があります。まだまだ気が抜けません。