遇いがたくして いま 遇うことを得たり
Rare is it to come upon the sacred Buddhist scriptures, but now we are able to encounter them.
『教行証文類より』
今年のカレンダーの言葉は、親鸞聖人の主著である『教行証文類(教行信証)』から抜粋されています。
今月の言葉の前後の文は「ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃(せいばん)・月支(げっし)の聖典、東夏(とうか)・日域(じちいき)の師釈に、 遇いがたくして いま 遇うことを得たり、聞きがたくして いま 聞くことを得たり」となっています。
これは『教行証文類』の冒頭部分で、親鸞聖人は自分が念仏の教えに出会った事を喜ぶ信仰告白をしていらっしゃいます。 西蕃は現在のインド、月支は西アジア地域、東夏は中国、日域は日本を指しています。要するに、インドからガンダーラを経て中国、日本と伝わってきた仏教、その経典や高僧の書物に出会えた事を喜んでおられるのです。
また「あう」に「遇」の字を用いておられます。この字は「奇遇・遭遇・千載一遇」などのように、思いがけず出会う事を表しています。
三帰依文という文章がありますが、そこにも…
「人身受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く」
(人として生まれるのは稀な事で、さらに仏法を聞くのはさらに希少な縁である)
「無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭遇うこと難し」
(この上もない法(仏法)は、永い時間を経ても出会う事は難しい)
自分自身について考えてみても、一般家庭に生まれた私がお寺で働くようになって、仏教学院に通う縁が出来て、なごみ庵を開いて、こうして人前で話すなんて想像もしていなかった事です。
さて、私の例は置いておいて、江戸時代の儒学者、中江藤樹と弟子の熊沢蕃山の出逢いについて、こんなエピソードがあります。
蕃山が若い頃、諸国を遍歴していた時にある武士と知り合います。その武士は以前、主君からの命を受け江戸に行って用事を済まし、何百両と言う大金を預かって帰国の途につきました。その大金を肌身離さず持っていたのですが、ある日たまたま頼んだ馬の鞍に袋を結びつけて、宿に着いた時にそれを回収するのを忘れてしまったのでした。
ちなみに当時の旅人は徒歩で移動しましたが、武士や荷物の多い人は馬子を雇って馬に乗ったり荷物を積んだりしていました。「馬子にも衣装」ということわざは有名ですが「馬子にわんぽう」ということわざもあるそうです。「わんぽう」は粗末な着物の事で、要するに当時馬子は、社会的身分の低い、貧しい職業という風に見られていたようです。
さて、武士が部屋に入ってひと息ついて、やっとお金が無い事に気づきます。慌てて馬と馬子を探しますがもう見つかりません。上記のように馬子は卑しい職業と見られていたため、金が返ってくる事などありえないだろう…かくなる上は切腹して責任をとろう、と遺書をしたためる事にしました。
ところがその晩、昼間の馬子が武士を訪ねてきました。そして1両たりとも手を付けていない金子袋を渡し、そのまま帰ろうとします。
武士は馬子をいのちの恩人と呼び止め、多額のお礼を渡そうとするが受け取りません。少し額を減らしても、なお受け取ろうとしません。押し問答の末、馬子は「では、家からここまで4里(約16キロ)歩いてきたので、わらじがすり減ってしまいました。わらじ代として4文下さい」と言います。
あまりの無欲さと正直さに打たれた武士は、なぜそういった行動をとったのか訊ねたところ「私の村に、中江藤樹という先生がおります。私たち村人は先生の教えに従っているだけの事です」と答えたのです。
このエピソードを聞いた蕃山は中江藤樹の弟子となり、後には岡山潘の家老となって活躍をしたそうです。先々月も、上杉鷹山と細井平洲の師弟関係のお話をしましたが、よき師、よき教えと出会うというのは、それだけ尊い事だという事でしょう。