本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき
Those who encounter the power of the Primal Vow Will never pass it by in vain.
『高僧和讃』より
本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき
Those who encounter the power of the Primal Vow Will never pass it by in vain.
『高僧和讃』より
今年のカレンダーの言葉は、親鸞聖人の様々な著作から抜粋されています。今月は、親鸞聖人が和語で浄土七高僧の第二、天親菩薩を讃えた和讃です。全文は…
本願力に あいぬれば
むなしく過ぐる 人ぞなき
功徳の宝海 みちみちて
煩悩の濁水 へだてなし
『註解国宝三帖和讃』による訳文は…
「弥陀の本願力に出遇うと、かいもなく終わる人は一人もいない。名号には功徳が海水のように満ち満ちているから、欲望に汚れた水も、差別無く同化してしまう。」となります。
さて、話は変わりますが、先日大遠忌で、次のようなお話しをさせて頂きました。
落語の立川談志さん、元横綱隆の里、俳優の二谷英明さん、思想家の吉本隆明さん…
勘のいい方はお分かりかもしれませんが、この半年あたりで亡くなった著名人の方の名前です。坊さんが辛気臭い話を始めたなぁ、なんて思われましたか? まあ、こういった有名人が亡くなると、お付き合いのあった方とかニュースのアナウンサーが、決まって「ご冥福をお祈りします」と言いますね。あるいは一般の方でも葬儀で電報が来ると「ご冥福をお祈りします」とよく書かれています。
丁寧な言葉なようですけどね、実はこれ、あんまり良い言葉じゃないんですよ。冥福の「冥」、どんな字だか思い出せますか? 理科の授業で習ったと思いますが、水金地火木土天海冥、太陽系の星を覚える時に、昔理科の授業で習いましたね、水金地火木土天海冥。太陽から近い順に、水星、金星、3番目が私たちのいる地球です。それで太陽から一番遠いのが冥王星、何年か前にこの冥王星が惑星としては小さいので準惑星と言うことになって、今は水金地火木土天海、と教わるようですけどね。
まあこの冥王星、太陽から遠いので、太陽光がほとんど届かない、暗闇に包まれた惑星だそうです。それで、太陽の温かさも届かないので、氷に包まれた極寒の星なんだそうですが、この冥王星の冥、が冥福の冥ですね。
あとはよく時代劇なんかで「冥土の土産に教えてやろう」なんて悪代官のセリフがありますね。ああ、今入っていらした方がビックリしてますね。この冥土の冥が、冥福の冥です。ちなみに「土」というのは国、という意味もあるんだそうです。それで冥土を辞書で調べると「死者の霊魂が行く地下の暗黒の世界・地獄」なんて書いてありました。
つまり「冥福をお祈りします」っていうのは丁寧な言葉に見えますけど、亡くなった人が地下の暗黒の世界に行っている、地獄のようなところに行っている、と決めつけてるんですね。その暗闇の世界での幸福を祈る、という意味になります。ですので「謹んで哀悼の意を表します」という表現がよろしいと思います。
さて、話は変わりますが、今回のご遠忌で初めて本山にいらした、あるいは平成の大修理というのがありましたが、大修理が終わってからは初めていらした方…大きいでしょう、このお堂。御影堂といいまして、日本国内の重要文化財・木造建築で五番目の大きさなんですよ。皆さん自慢していいですからね、私のお寺の本山は、日本で五本の指に入るお堂があるんだ、と。
そしてまた、内陣、私の後ろの方が内陣というんですが、あちらはきらびやかでしょう。あの美しい様子は、極楽浄土、西の彼方にある極楽浄土の様子を表しているんだそうです。ちなみに私のいるあたりが中陣、そして皆さまがいらっしゃるのが外陣とか大間とか言いますが、内陣からこっちはこの世、娑婆世界ですね。娑婆世界からお浄土の様子に手を合わせながら、お念仏を申しているわけです。
阿弥陀経というお経がありますが、そのお経の中で極楽浄土の様子が描かれています。きらびやかな建物が建ち並び、空からは花びらが舞い降り、鳥たちは美しい声でさえずり、清らかな池には大きな蓮の花が咲いている…そんな様子が描かれているんですが、でも実際のお浄土の様子はわかりませんね、なにしろ私も行った事が無いもんで。どなたかいらっしゃいます? 極楽浄土に往った事がある方? ここから車で5分ぐらいの所にある極楽湯っていう銭湯のことじゃないですよ(笑)
まあ冗談はさておき……ご開山聖人はお浄土のことを、無量光明土、限りない光の世界、私たちの考えの及ばないほどの光の世界だ、とおっしゃっています。こうしてご縁があってこの場に集まってお念仏申している私たちは、命を終えてから冥土、暗闇の世界に行くんじゃないんです。限りない光の世界、倶に極楽浄土へ往生するのです。一期一会の世の中ですから、今日を最後にお会いすることが無い方も大勢いらっしゃいます。しかしそれでも、倶に還る、倶に仏として生まれる光の世界がある、そう思って一日一日をお過ごし下さい。