確かな一足一足が 念仏によって与えられてくる
The working of the Nembutsu bestows me with assuredness to advance forward.
宮戸道雄
確かな一足一足が 念仏によって与えられてくる
The working of the Nembutsu bestows me with assuredness to advance forward.
宮戸道雄
今年のカレンダーの言葉は、様々な念仏者の言葉から選ばれています。8月の法語は、宮戸道雄さんのお言葉です。宮戸師は真宗大谷派の僧侶で、滋賀県の慶照寺(きょうしょうじ)のご住職。各地の教務所長や別院輪番を歴任されてきたお方で、NHK「こころの時代」にも出演されたことがおありです。
さて、話は変わりますが、8月に入って3日間、毎年恒例になっている、近所のお寺の子ども会に手伝いで行ってきました。26名の小学生を1泊でお預かりするのですが、以前来ていた小学生が、中高生・大学生・社会人になって「青年会」として手伝いに来てくれます。
小学生にお寺に親しんでもらうのも目的なのですが、実はそれ以上の年齢の若者たちに、よりお寺に親しんでもらう、年少者の面倒を見る大変さを学んでもらう、子どもから何かを学び取ってもらう、という目的もあります。10年以上続いていますから徐々に青年会メンバーが蓄積されて、今年は少し顔を出してくれた方も含めて30名ほど、子どもよりも多いんです。
でも今年は、小学生の時からずっと来ている方が音大生となり、学校の友達を連れてきてくれ、本堂でミニコンサートを開いてくれました。また、社会人になって数年経った方は、わざわざ有給をとって応援に来てくれます。
参加費は小学生から少々頂戴するだけで、総勢50人以上の3食分の食費、貸し布団代、銭湯代、お疲れさま会代などなど、お寺としては大赤字だと思います。でも、これだけの若者や子どもたちがお寺に集まって過ごすなんて、普通では無いことです。とても大変なことですが、お寺の将来にとっても大きな積み重ねに繋がると思います。
また話は変わりますが、子どもの考え方や質問というのは非常に鋭い時があります。今月の言葉を書かれた宮戸師は、ある時こう聞かれたのだそうです。
それは「子どもは大人になるんだけれども、大人は何になるんですか?」という問いでした。皆さん、どう答えますか? 「爺さん婆さんになりますよ」と簡単に答えたら、きっと子どもは「爺さん婆さんは何になりますか?」と聞いてくるでしょう。「爺さん婆さんは亡くなりますよ」と答えたら「亡くなってどうなりますか?」と聞いてくるかもしれません。
ここでどう答えられるか、が大切なことだと思います。ロッキード事件の時の検事総長だった伊藤栄樹氏は闘病記『人は死ねばゴミになる』という本を出しましたが、奥さんに「あなた、私や子や孫に、ゴミを拝めって言うんですか」と返されたそうです。
宮戸師はこの質問を、出刃包丁をのど元に突きつけられた、と感じたそうです。そして「これは子どもの質問じゃない、子どもの口を借りて如来さまが自分に体当たりをしてきたんだ」、「学問でも知識でも返せない、人間の根底を突いてくる問題だ」と思ったのだそうです。皆さんだったら、どうお答えになりますか?
宮戸師のお寺では、外の掲示板に色々な言葉を書くのだそうですが、上記の質問に関係するような、こんな言葉を掲示したこともあるようです。
食べなければ死ぬ。 が、しかし 食べても死ぬ
短い言葉ですが、これも人間の根底を突いてくる言葉です。
「生きるため、食べるために仕事をしている。仕事が忙しくて仏法なんぞ聞いているヒマが無い」なんて言ったり思ったりする方は多いのではないかと思います。でも、一所懸命に働いて、稼いで、ご馳走を食べても、やはり死はやって来る。であれば「死」に向き合うのは、後回しにしていいことではない。
要するに仏教、仏さまの教えというのは「お前、死ぬぞ。それまでどう生きるか?」と仏さまに問われていることで、それに正面から向き合っていくのが「人間奪還」に繋がると宮戸師は仰っています。
子ども会の子どもたちが一足一足成長し、青年会になってまた成長していくように、念仏に出逢った私たちは、自己を見つめる確かなものを一足一足与えられるのではないでしょうか。