一切は縁において生まれ 縁においてあり 縁において去っていく
Everything arises, exists and passes away depending in conditions.
宮城 顗(みやぎ しずか)
今年のカレンダーの法語は様々な念仏者や僧侶の言葉から選ばれており、4月は真宗大谷派の僧侶、 宮城 顗さんのお言葉です。「顗」というのは珍しい字ですが、訓読みをすると「うやうやしい」となるそうです。宮城師は昭和6年京都生まれ、平成20年にご往生されました。
宮城師の言葉はこのカレンダーでは珍しく、浄土真宗というよりも仏教全体を表す言葉であるように思います。というのは「縁」こそお釋迦さまの説かれた教えの中心だからです。それは「全ての物事は、他との関わりの中で成り立っている」のであり、「完全に独立して存在するものはない」という教えです。「因縁生起」という四字熟語で表されますが、「原因があり、諸条件(縁)によって様々な結果が生起してくる」ということです。
ですので仏教では「運命」や「宿命」といった、はじめから何か決まっているような考え方はしないのです。
この「因縁生起」について、宮城師はこう仰っています(多少言葉を補っています)。
『引き算の人生というのは、死をゴールとしてあと何カ月、あと何日という、だんだん手持ちの時間が消えていく生き方です。その考え方で生きるということは、一日生きれば、一日引き算です。そういう引き算の行き先は「こんな私になってしもうて」という嘆きしかでてこない。』
ここまでが前半ですが、いかがでしょうか? 確かにこう考えてしまうことは少なくないですよね。私は今40歳ですが、事故や病気を得なければ何歳まで頑張れるだろうか? なごみ庵をお寺にして後に引き継ぐために、どれだけ時間をかけられるか、なんてことを時々考えます。
これが50歳、60歳、70歳となってくると、その計算はもっと切実になってくるのだと思います。でもそれは引き算の人生だ、と宮城師は仰るのです。
では後半です。
『それに対して、引き算から足しへ算の変換。それは常に「今を頂いて生きる」ことへの変換です。これが因縁生起の生き方、足し算の人生です。「今」というのは常に出遇いたまわるものなのです。
生から死への人生は引き算の人生、逆に死から生へという視点に開かれてくる人生というのは足し算の人生でしょう。』
前半に比べて、ちょっと分かりにくいでしょうか。私なりの解釈ですが、「引き算の人生」は、ゴールばかり見据えて、自分の希望に沿わない「今」を大切にできないのでしょう。
「足し算の人生」は、今を大切にする生き方でしょう。今起きた出来事を「因」として、また「縁」として、次の結果を「生起」していく生き方です。もちろん人生の目標を定めたらダメだということではないですが、物事の変化に対応する柔軟な生き方を歩めるような気がします。
例を挙げると、病院で「余命1年」という宣告を受けたとします。ところが1年を過ぎてまだ生きている。そうすると1日1日が思いがけない贈り物として受け止められる尊い時間となる。これが足し算の人生にたとえられるのではないでしょうか。