梅原師は仏教大学(現:龍谷大学)教授となり、また自宅では『歎異抄』などの勉強会を開いていました。昭和4年に大学を去ると、同志とともに真宗学を中心とした「顕真学苑」を京都市に創設し、講座を開講したり、若者の研究発表や法話指導を行い、教化活動を展開しました。
その後、本願寺派の勧学、実家の寺の住職になる一方、昭和22年には参議院議員に当選し、築地本願寺を宿舎として国会に通うなど、多方面で活躍されました。
さて、今月の言葉に「回向」という言葉があります。大辞林によると…
1:自己が行なった修行や造塔・布施などの善行の結果を,自己や他者の成仏や利益(りやく)などのために差し向けること。
2:死者の成仏を祈って供養を行うこと。 「親戚一同で-する」
3:浄土真宗で,阿弥陀仏の本願の力によって浄土に往生し,またこの世に戻って人々を救済すること。前者を往相廻向,後者を還相(げんそう)廻向という。
4:寺へ寄進すること。
5:回向文(えこうもん)を唱えること。また,その文。
1と2が、一般的な「回向」の理解だと思います。3は浄土真宗について言及してますが、今回の言葉とは少し内容が異なりますので、横に置いておきます。4はあまり聞いた事がありませんが、地域や宗派によっては言うのでしょうか。5は、法話会で最初にお勤めする正信偈や、写経会でお勤めする重誓偈の後に続くもののことですね。
先ほども書いた通り、1と2,つまり自分で行った善い行いによる功徳を、亡くなった人などに向ける。これが一般的に回向だと思われています。
しかし浄土真宗では、私たち人間には本当の善行はできない、と考えます。なぜなら行為として善行であっても、その心中に功利心や名誉欲や打算が渦巻いているからです。
もちろん、心中がどうであっても、結果として良い影響を与える行為ならば、それはそれで評価されるべきです。ここでは、行為と心中が必ずしも合致しない、ということを言っています。
私たち人間の側には「本当の善行」はできず、であれば「回向」も出来ない。それができるのは、大悲、大いなる慈悲の心を持った阿弥陀仏だけである。私たちが回向するのではなく、阿弥陀仏が回向をして下さっているのだ。だからその阿弥陀仏に、ただ念仏せよ、と梅原師は仰っているのですね。
ちなみに先ほど横に置いた、辞書に載っていた「3」ですが、これも浄土真宗独特の考えです。人間には本当の善行はできないが、阿弥陀仏の救いによって、浄土に往って仏となる。これが往相回向。そして仏さまとなったからにはお浄土でのんびりしておらず、この世に還ってきて私たちを導いて下さる。これが還相回向です。
日本では無宗教と言う言葉がさも良い事のように扱われていますが、自分も他人も「死んだらおしまい」と思って生きるのか、「自分は命を終えて仏さまになるのだ。また先に亡くなった方も仏さまとなって私を見守って下さっているのだ」と思って生きるのか。どちらが人間性豊かな人生と言えるでしょうか。
梅原師は往生に際して、「みなさん長らくお世話になりました。心よりふかく感謝いたします。どうかお念仏をよろこんで生きて下さい。私もお浄土でまっております」と言われたそうです。