真言宗 豊山派僧侶が中心となる法話研鑽会さん主催で、「これからの水子供養」という研修があり、参加をさせて頂きました。

最初にお伝えしておきたいのは、浄土真宗では「水子供養」という概念がほとんど無い、ということです。
ひとつは、生まれる前に亡くなっても、幼くして亡くなっても、長生きをして亡くなっても、水子や霊ではなく「仏さまになっている」と捉えることが理由です。
もうひとつは、凡夫である人間が、迷い苦しみの無い世界にいらっしゃる仏さまを供養するのではない。仏さまから私たちは見守られ、何かを教えられているのだ、と考えることが理由です。


それはともかくとして、浄土真宗のお寺にも当然、流産や死産、幼い子を亡くした悲しみを抱いた方はやって来るわけです。その方たちに「ウチのお寺では水子供養はしません」と門を閉ざすのは言語道断のことで、私は今までじっくりとお話しをお聴きし、一緒にお経をお勤めするなど法要をしてきました。

その上で、水子供養と呼ばれるものの背景で何が行われているのか。そしてそこに、どういった悲しみや思いが存在するのか、知っておきたいと思い、参加しました。


会場には真言宗を中心としながらも宗派を超えた僧侶たちが40名ほどいたでしょうか。そして前方には司会の僧侶と、3名の女性。流産・死産経験者でつくる「ポコズママの会」の方たちです。
会のキャラクター ポコちゃん

代表の方から、まずは流産・死産についての知識的な部分を学びます。そしてそれを経験した方が、どういった気持ちの変化を辿るのか、心理的な部分もお聞かせ頂きました。

そしてその後、各メンバーからご自身の体験が語られます。中にはまだ、あまり時間が経っておらず、涙を流しながら語る方もいらして、私も思わず目頭を熱くしつつ、耳を傾けていました。

休憩を挟んだのち、流産・死産を経験した方が、お寺に供養を依頼したか否か。僧侶のどういった言葉に安心し、また傷つけられたのか。そういったアンケート結果なども示され、依頼を受ける可能性がある立場として、どういうふうに気をつけなければならないか、深く考えさせられました。

私は「自死・自殺に向き合う僧侶の会」の会員として学んできたつもりでしたが、流産・死産の悲しみも抱えた方も多くいらっしゃり、その方たちに向けた専門的な法要なども必要ではないか、と思いました。
しかし非常にデリケートな問題でもあり、男性である私がそこに携われるのか、携わっていいのか、そこも考えさせられました。

いずれにしても、今後そういった機会があれば、精一杯こころを込めてお勤めをさせて頂こうと思い、会場を後にしました。

ポコズママの会 HP
http://pocosmama.babymilk.jp

法話研鑽会 HP
http://bozubanasi.blog91.fc2.com