※2022年12月29日追記
ずいぶん時間が経過してから、当時書いたことから考えに変化がありました。
以下、元の文章に赤文字で註釈を入れています。


2016年7月7日、永六輔さんが亡くなりました。
御年83歳、現在の日本では決して長生きとは言えませんが、最近めっきり衰えていらした様子を思い出すと、とっても驚いたという印象はありませんでした。

永六輔さんは実は浅草の浄土真宗寺院の生まれで、そのせいか『大往生』や『庭説法 歌えばお経・話せば法話』という仏教的な要素が盛り込まれた著書も多くあります。

私が好きなエピソードは、築地本願寺で著名人の葬儀が行われた時のこと。
著名人の葬儀となると、もちろん参列者にも著名人が多い。そうするとテレビカメラも集まり、弔問客にインタビューなどをするのはおなじみの光景です。

亡くなった著名人がどなただったか失念しましたが、浄土真宗本願寺派の築地本願寺で、浄土真宗の作法にのっとっての葬儀だったはずです。
式場から出てきた永六輔さんにテレビレポーターが「天国の〜〜〜〜さんにひと言お願いします」とマイクを向けると、永さんは「〜〜〜〜さんは天国に行ったんじゃない、浄土に往ったんだ!」と一喝したそうです。

宗教的感覚が緩やかな日本ならではの話ですが、自分が緩やかであるということと、相手がそうであるかというのは別のことですよね。ですからやはり、宗教的な知識の教育というのは大切なことだと思います。


さて、タイトルの「冥福を祈ってはいけない」です。
この言葉自体はよく耳にするものですが、実は「冥福を祈る」というのは「冥土での幸福を祈る」という意味です。 
2022年12月29日追記
「冥福の冥」=「冥土の冥」というのは特に根拠の無いことで、実際には「目に見えぬ働き」という意味のようです。
ですので「冥福を祈る」という言葉は、「神仏の目に見えぬ働きにより、死後の世界で福を得てほしいと祈る」と解釈できます。

「冥土」を辞書でひくと「死者が行く暗黒の世界。あの世。冥界(めいかい)。冥府」や「死者の霊魂の行く世界。あの世。地獄・餓鬼・畜生の三悪道をいう」などと出てきます。

要するに「冥福を祈る」という言葉を厳密に解釈すると、亡くなった方が地下の暗黒の世界に落ちている、ということを前提にしていると捉えられます。

つまり、しばらくニュースなどで永六輔さんが亡くなったことが報じられるでしょうが、アナウンサーが「冥福をお祈りします」などと言うと、永さんに「冥土に行ったんじゃない、浄土に往ってます!」怒られてしまうので、気をつけた方が良いでしょう。

代わりの言葉で、どんな宗教であっても無難なのは「哀悼の意を表します」や「お悔やみを申し上げます」などです。覚えておくと良いのではないでしょうか (−人−)


追記:思ったより記事への反響があったので、追記しておきます。
上記の文はあくまで浄土真宗の僧侶としての見方であって、誰もが絶対に「冥福を祈る」という言葉を使うべきでない、という意見ではありません。
元の意味はともかく、すでに人口に膾炙していますので、私も思わず言いそうになってしまうこともある程です (^_^;)