忘れても 慈悲に照らされ 南無阿弥陀仏
Though I may forget, I am always illuminated by the Great Compassion of Namo Amida Butsu.
浅原才市
今年のカレンダーの言葉は、様々な念仏者の言葉から選ばれており、11月の法語は妙好人として名高い浅原才市さんの言葉です。ちなみに妙好人とは、非常に熱心な念仏者のことを指します
才市さんは江戸末期から昭和初期、島根県の方です。父親がお寺で役僧をしていて、その薫陶を受けたのでしょうか。ご本人は大工さんで、晩年は下駄職人をされていました。仕事のかたわら、かんなくずや木片に素朴な仏教詩を書いたものが今に伝わっています。その詩のほとんどに「なむあみだぶつ」とお念仏が書かれているのが特徴です。
さて、今月の言葉ですが、俳句のようなテンポです。そして最後に「南無阿弥陀仏」とお念仏が書かれています。この詩の冒頭「忘れても」を読み、私は金子みすゞさんの「お仏壇」という詩を思い出しました。特にオレンジの部分をご覧下さい。
「お仏壇」金子みすゞ
お背戸でもいだ橙も、町のみやげの花菓子も、
仏さまのをあげなけりゃ、私たちにはとれないの。
だけど、やさしい仏さま、じきにみんなに下さるの。
だから私はていねいに、両手かさねていただくの。
うちにやお庭はないけれど、お仏壇にはいつだって
きれいな花が咲いてるの。それでうち中あかるいの。
そしてやさしい仏さま、それも私にくださるの。
だけどこぼれた花びらを、踏んだりしてはいけないの。
朝と晩とにおばあさま、いつもおあかりあげるのよ。
なかはすっかり金だから、御殿のように、かがやくの。
朝と晩とに忘れずに、私もお礼をあげるのよ。
そしてそのとき思うのよ。いちんち忘れていたことを。
忘れていても、仏さま、いつも見ていてくださるの。
だから、私はそういうの、ありがと、ありがと、仏さま。
金の御殿のようだけど、これは、ちいさな御門なの。
いつも私がいい子なら、いつか通ってゆけるのよ。
浄土真宗の熱心な門徒が多い地域、朝晩のお礼=お参りを、みすゞさんの家族も毎日忘れずにしていたのでしょう。おそらく晩のお参りの時、手を合わせたみすゞさんはふっと「あ、朝のお参りをした後、仏さまのことを忘れていたな」と気づくのです。学校に行ったり友達と遊んだり、そんな時にずっと仏さまのことを考えていられません。一緒に住んでいるお婆さんやお母さん、お兄さんも同じでしょう。
でもそんな自分を、仏さまは片時も目を離さずに見守って下さっているのだな、とみすゞさんは気づきます。それで「ありがと、ありがと、仏さま」と繋がっていくのですね。
よく「お念仏は感謝のために申す」と言います。他の宗派や宗教では、願い事を胸に抱いて手を合わせることがあるようです。例えば家内安全、合格祈願、病気平癒などなど…まあ人間として当然抱く感情と言えます。先日広島の厳島神社に行ってきたのですが、たくさんの絵馬が奉納されていて、そこには様々な願いが書かれていました。
けれど真宗では、これらの現実的な願いを阿弥陀仏が叶えてくれるわけではありませんよ、と説きます。いわゆる現世利益を認めていません。親鸞聖人作の「現世利益和讃」というものもありますが、具体的な利益にはほとんど触れていません。
「地獄に堕ちるしかない我が身を救うと言う阿弥陀仏」に対し、感謝のためにお念仏を申す。これは分かりやすいですし、本願寺中興の祖、第8代の蓮如上人は報恩謝徳のお念仏といって教えを広めたようです。
しかし親鸞聖人におけるお念仏は報恩謝徳のためではありませんでした。一般の方には分かりやすくするため、そのように説いたこともあるかもしれませんが、『歎異抄』には「念仏には無義をもって義とす」とあります。「念仏とはこういうものである」という思慮分別をしないことが重要だということでしょう。
そしてその後「不可称・不可説・不可思議のゆえに」と続きます。念仏は、讃え尽くすことも、説き尽くすことも、考え尽くすことも、いずれも不可能なものだ、ということです。
言葉で説き尽くすことができないものを、それでも説かなければならない。浄土真宗は大変な教えだと感じています。