名利に人師をこのむなり [その他色々]
大震災の復興支援公演から5日目の3月16日、お預かりした義援金をどうにか形に出来ました。
日本の運輸業はスゴイですね、翌17日には仙台の本願寺ボランティアセンターから「お茶会用のお菓子が届きました」と電話が、また翌々日の18日には「お米が届きました」と電話がありました。他の募金も、順次被災地・被災者のために使われていくでしょう。
公演そのものも成功に終わり、大きな満足感を得ました。そしてその後一週間、義援金の分配などをしていて充実感と誇らしい気持ちに浸っておりました。
しかし、それと同時にこころに沸き立つのは親鸞聖人の和讃です。
是非しらず 邪正もわかぬ この身なり小慈小悲もなけれども 名利に人師をこのむなり
これは親鸞聖人が「自分はどこまでも凡夫である」と自らのありようを歎いた和讃です。そして、まさに私自身の事を指弾している和讃でもあります。
意味としては「何が正しく何が誤っているかも理解出来ない私、そして本当の慈悲心のかけらもない私であるのに、名誉を求め人から師と仰がれたい気持ちばかりがある」となります。
まさに私のことです。自分の事だから分かるのですが、私は名誉欲の強い人間です。人さまから褒めてもらいたいのです。「被災地・被災者のために」という気持ちに嘘はありませんが、同じく名誉を求める気持ちも本当です。
今回の行事では、改めてその事に気付かせて頂きました。
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