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2012年4月号 [和庵だより]

 ◇満員御礼◇
 
 三月十一日の関内ホールでの金子みすゞ公演、おかげさまで大成功となりました。来客数が全く読めない中、会場は満席となり、進行もまずまず順調でした。ご来場頂いた方々、お手伝い頂いた方々のご協力の賜物で、感謝感謝です。

 また、なごみ庵に戻って皆さまと募金箱の開封をしたところ、別紙の通り十九万円以上の寄付が集まっていて、こちらもほぼ目標達成となりました。公演の終わった翌週は比較的予定が空いていましたので、関係各所に連絡を取り募金の配分や物資の発送をいたしました。こちらも詳しくは別紙をご覧下さい。
 
 後日、寄付金をお送りした「みちのく未来基金」さまから、お礼状とともに新聞のコピーが届きました。そこには、八人家族でただ一人、自分だけが生き残った三浦美咲さんという方が紹介されていました。
「家族全員が津波に呑まれたと聞いて、自分がおかしくなるぐらい泣いた」美咲さん。しかし管理栄養士を目指し、仙台の大学にこの四月から通う。
「偉いね、すごいね」という周囲の声に「本当にすごいのは、そんな私に育ててくれた家族です」と美咲さんは答えた。
 この記事を読んで「ああ、これが他力に生きる」という事なんだな、と感じました。彼女も、みちのく未来基金受給者の第一期生なのだそうです。


 ☆仏教の言葉☆
 「他力」(たりき)

 
 テレビなどで「他力本願」という言葉が出る時は、十中八九間違った使われ方、つまり「自分で努力せず他人をあてにする」という使われ方をします。
 しかし本来の意味は「他力(阿弥陀仏)の本願の意。仏教語。自らの修行の功徳によって悟りを得るのでなく、阿弥陀仏の本願によって救済されること。浄土教の言葉」(大辞泉)となります。
 浄土真宗の教えの上で非常に大切な言葉なので、誤用されるのはとても悲しいことですし、事あるごとに「本来の意味はこうですよ」と解説してきましたが、上手く伝えるのが難しいのです。しかし、上記の新聞記事を読んで、これはお伝えしやすいエピソードではないかと思いました。
 家族を全て失った女性が、悲しみを乗り越えて強く生きようとする姿。その彼女を讃える声に「私の手柄ではない」と謙虚に答える姿は、自らの力を過信して驕り高ぶるのではなく、努力をした上で結果を粛々と受け止める、他力的な生き方ではないでしょうか。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・
 関内ホールでの大仕事が終わったのもつかの間、四月前〜中盤は三重県の本山で親鸞聖人七百五十回大遠忌です。その中で、私たち夫婦の「恵信尼ものがたり」の上演、そして私の法話の出番があります。まだまだ気が抜けません。

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