2012年10月の法語 [月々の法語]
信心よろこぶその人を 如来とひとしと説きたもう
Shakyamuni taught that those who entrust themselves to Amida with joy Are equal to the Tathagatas.
『浄土和讃』より
今年のカレンダーの言葉は、親鸞聖人の様々な著作から抜粋されています。今月は親鸞聖人の「浄土和讃」からで、和讃の全体は以下の通りです。
信心よろこぶそのひとを 如来とひとしとときたもう
大信心は仏性なり 仏性すなはち如来なり
意味としては…
「信心を喜び、仏智を疑わぬ人を如来と等しい人であると説く。この大信心は仏になる因子に他ならず、この因子そのものが如来なのである(『註解国宝三帖和讃』)」となります。
もう少し砕くと「仏を目指す私たち一人ひとりは、すでに仏と等しい存在である。私たちの中に仏性という仏に成る種があり、その種が仏そのものなのである」となります。
神道やキリスト教は、神を「敬う」教えです。対して仏教は、仏に「成る」教えで、この点が非常に大きな違いです。
さて、カレンダーの法語はここまでの解説として、先日なごみ庵で開催した「死の体験旅行」というワークショップについてお話しいたします。ギョッとする名前ですが、欧米ではホスピスのボランティアや医療関係者が行っているそうです。
数年前にこのワークの存在を知り、どうしても受けてみたくて色々と調べていました。しかしなかなか一般参加ができる会が無く、悩んだ末「そうだ、自分で開催しちゃえばいいんだ!」と思い立ち、ご講師に依頼、快諾を頂いたのです。
まず、 自分の大切なものを20枚(4色5枚ずつ)のカードに書きます。そして、ある架空の人物が病気になり悪化してゆき、最後は死を迎えるという物語を、自分に重ね合わせながら聞いていきます。その要所要所で自分の大切なものが書かれたカードを捨てていくのですが、途中から本当に辛く苦しくなり、涙がボロボロ流れました。他の方も鼻をすすったりハンカチを目に当てたりしていたので、涙を流しながらワークを受けている方が多かったと思います。
非常に重く濃い内容になると思いましたが、お坊さんの仲間を中心に声を掛け、12名の方がなごみ庵に集まってくれました。本当はもっと集めたかったのですが、なごみ庵ではこの人数が精一杯。皆さんには窮屈な思いをさせました。
終了後、2班に分かれて「分かち合い」をします。色々な感想や意見が飛び交い、それぞれ大切なものが違ったり、大切なものを捨てる理由が違ったり、興味深いです。
また全体での話になり、そこで「最後の1枚に残ったのは何か」を発表しました。配偶者や家族を挙げた人が多かった中、「念仏」や「水」を挙げた方もいて、それぞれの理由もまた興味深いものでした。
私たち僧侶は、「死」の後に関わりを持つ場合がほとんどです。そして深い関わりを持ちたくなければ、通夜葬儀に行ってお経だけ読んで、法話もせず会話もせずに帰ってきてしまえば、それで済んでしまいます。
でも、私は家族を亡くして悲しんでいる方に寄り添える存在になりたいし、さらに一歩突っ込んで死に直面している人の苦しみをわずかでも軽くしたい。そのためには、その方の気持ちに少しでも迫った経験を持ちたかったので、このワークは私に必要なものでした。そして同じ気持ちを持って多くの仲間が集まってくれた事が、とても嬉しく心強く感じました。
実は、今の僧侶は「死」の捉え方が、ちとズレているのではなかろうかと…
本当は、「死」の”前”に関わっているのですが、そこに気付かなけばと思うのです。 合掌 南無阿彌陀佛
by 念佛カラテ道場 (2012-10-13 22:33)
>念佛カラテ道場さん
もともと縁のある方なら死の前に関われますが、亡くなった事が縁でのお付き合いもありますよね…?
こういう事を言っているんじゃ無い…ような気がしますが。
by ボーズandカナコ (2012-10-14 00:16)
はい。そういうことを云ってるんではないんですが…
大事な事は、「死」の捉え方なんですが…
”命”の捉え方を考えて”観る”と、肉体の「死」に執着し過ぎては、そこには救いが無いと…
合掌 南無阿彌陀佛
by 念佛カラテ道場 (2012-10-14 00:39)
>念佛カラテ道場さん
む…難しいですね。
今度お会いした時にでも、お聞かせ下さい (^_^;)
by ボーズandカナコ (2012-10-14 00:49)
”浄土真宗の教え”にすると難しいことになるから学者になってしまう…で、ドンドン難しくなっていく…
”浄土真宗”は、実は、めちゃ簡単なんですよね…
合掌 南無阿彌陀佛
by 念佛カラテ道場 (2012-10-14 00:59)
>念佛カラテ道場さん
私は「入り口は『念佛すれば良い』と簡単、でも掘り下げていくと非常に奥が深い」という認識なんですよ。
by ボーズandカナコ (2012-10-14 08:13)
入り口ね~( -_-)o
浄土に果たして「入り口」があるのだろうか…
アタマで考えると、学識としていくと難しくなっていくかもね…(>_<)ヽ 合掌 なむあみだ~
by 念佛カラテ道場 (2012-10-14 10:01)
浄土に「入り口」は無いでしょうね。
by ボーズandカナコ (2012-10-14 19:10)
20枚組カードは、人それぞれだったので
しょうが。私の場合、さしづめ最期まで
保持するカードは、某・山奥の神社の
駐車場に生えていて、ちらっと、どこかの
ブログの写真でも見かける事の有る、
特定の、「とあるイチョウの大木」のように
も思えますね。なお、この樹木種
「イチョウ」は実質的に、私の魂の源と
見られる、私の出た高校の看板樹木で、
校舎の前に生えていたのと同じ種類
の木という係わりです。
ところで以下質問ですが、これらの
「20種類の大切な物」とは、私も入院した事
があるので、その経験からすると、
確かに重篤患者として病院に居る時には、
人は、それとほとんど関わりえなくなる
なる事は確かなのですが、死ぬと本当に実際、
全く離別した状態になるのでしょうか?
生まれ変わりが帝釈天様の一族になる方の
ケースは、孫悟空のように、筋斗雲で、
浄土から東へ、一っ飛びのような気もするの
ですがね。
またそもそも、あの世が「大事なもの」が見える
程度にしか、生前の居場所から離れていな
ければどうなるのかとか。精神修養として
この活動は誠にごもっともですが、死んだら
どうなるのか、確定してからでないと、その
「涙の離別」は本当に意味があるかどうか
「?」とも、私はこれを読んでいて思いました。
どうなんでしょうね。
>要所要所で自分の大切なものが書かれたカードを捨てていくのですが・・
by 長さん (2012-10-17 17:02)
>長さんさま
お久しぶりです (^_^)
最後に残った大切なものは「人」である方が多かったですね。
このワークは精神修養という面はあまり無いと思います。私たちが想像すらしにくい「死」というものを少しでもイメージしたり、自分にとって何が本当に大切かを気付かせてくれる役割があるように思います。
by ボーズandカナコ (2012-10-17 21:10)
コメントありがとうございます。
その「気付かせ」は、大切ですね。
なお『「死んだらどうなるのか」を始めとして、
けだかい難問の山峰を解明する源は、
一般に「思索力」ではなくて「観察力」だ』
というのが、私の母校の高校で、私が得たもの
だと見られます。
by 長さん (2012-10-18 08:29)
↑参考url:
http://www.nec.co.jp/rd/innovative/cnt/myself.html
by 長さん (2012-10-18 08:46)
>長さんさま
なるほど…観察力ですか。
お釈迦さまの説かれた八正道も、一番のメインは正見、すなわち正しい観察と言われていますね。
by ボーズandカナコ (2012-10-19 00:07)
再度、コメントありがとうございます。
お釈迦様の観察力は、ものすごそうですね。
他の方としては、親鸞聖人も彫刻品を作成して、
野田キッコウマン醤油の高梨氏の先祖に与えた
とも聞いている、聖徳太子様をも、その能力の
有る方としてあげても良いのではと思います。
つまり、観察というと、一応視覚が中心ですが、
「あの世関連」のケースは、聴覚をも鍛錬すべき
かもしれないと、私は個人的には感じますので。
なお、私が聴覚を多少鍛錬するようになったのは、
学生時代ではなくて、社会人になってからですが。
by 長さん (2012-10-19 09:09)
お釈迦さまの観察力…
刑事になったら難事件もすぐに解決ですね。
あだ名は「仏の釈さん」でしょうか (^_^;)
by ボーズandカナコ (2012-10-19 09:31)