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2010年6月 [月々の法語]

凡夫 煩悩の泥のうちにありて 仏の正覚の華を生ず

Foolish beings, while in the mud of earthly desires, bloom with the Buddha’s perfect awakening.

『入出二門偈』より


 6月は移転直後のため法話会がお休みで、月々の言葉のアップロードが遅くなりました。


 さて、日本で「花」と言えば桜を連想する方が多いと思いますが、インドでは、また仏教では花といえば蓮華(ハス)を指す事が多いようです。ちなみに蓮華はインド亜大陸が原産です。


 蓮華は池などの水辺で咲くので街中で見る事はほとんどありません。ですのであまり馴染みがない、という方も多いと思いますが、実物ではなくとも美しい姿はご存知でしょう。


 水面からスラリと茎が伸び、その上に美しい大ぶりの花が咲きます。しかしその水は澄んではおらず、水底には泥が溜まっています。その泥の中に根っこ、いわゆるレンコンが埋まっているのです。


 綺麗とは言いがたい泥の中から茎が伸びて花を咲かす。その姿を古代インド人は、煩悩にまみれた凡夫の中から、清らかな聖者や悟りを開いた者が現れる様子と連想しました。また蓮の葉は高級雨具顔負けの撥水性があり、泥水をかけても雨が降っても濡れる事がありません。



 古代インドでは、私たちは六道を輪廻する、と考えられてきました。六道とは「天・人間・修羅・地獄・餓鬼・畜生」の6つの世界で、現在の生き方によって次に生まれる世界が決まる、という考え方です。仏教ではこの6つの世界のうち、人間界からしか悟りを得て仏になる事ができない、とされています。


 またこの6つの世界は、人間の主な6つの感情に対応しているとも言われています。怒りや快楽などの感情のうちにあって、平常心(人間界=ニュートラルな精神状態)の時こそ、悟りに至る事ができる、とされています。



 私たち人間には、悲しみや苦しみがつきものです。生を積み重ねるほど、それは泥のように積み重なっていきます。しかし、その泥がなければ、悟りの蓮華は咲く事が出来ません。

 悲しみや苦しみを自らの糧に出来た時。その時私たちはほんの僅かに、仏さまに近づいているのかもしれません。


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