2010年7月号 [和庵だより]
◇臨床仏教◇
「臨床」と言えば「医学」という言葉が連想されます。病床に臨んでの医学ですから、つまりは現場での治療を指します。対して、研究室などで進められる医学は基礎医学と呼ばれます。医療の世界では、臨床の方が盛んだそうです。
医学は人の身体を対象にしますが、(もちろん心療医学もありますが)仏教は人の心を対象にします。そもそもお釈迦さまは、人々の悩みに応え、教えを説かれた方です。
私の尊敬する僧侶・医事評論家の西來武治師によると、仏教も基礎仏教(理論仏教・学問仏教)と、臨床仏教があり、そして医学とは反対に、学問仏教は盛んだが、仏教の智慧を実際に人の悩みに活かす分野が発展していないとおっしゃっています。
西來師は実際に人の悩みに応えるため、日本初の民間電話相談として四十年近く前から活動されています。また仏教の智慧と医学の知識を融合させ、様々な本も出版しておられます。
つい先日もお会いして、お話を伺って参りました。カウンセリングの勉強を進めている事。僧侶である自分には、その特徴に沿った内容の相談がある事。なごみ庵の活動など、話題は多岐に渡りました。西來師の提唱する臨床仏教を実践できるように精進しなければ、と決意を新たにしました。
☆仏教のことば☆
「応病与薬」おうびょうよやく
上段で、お釈迦さまは人々の悩みに応えた方だったと記しました。
その姿は、病気やケガに応じて薬を与え治療する医師にたとえられ「大医王」という異名もあります。
また「病に応じて薬を与える」ような教えだとされ、表題の「応病与薬」という言葉で表されます。
応病与薬と言われるからには、一方的な説教やアドバイスではなかったのでしょう。適切な教えを語るには、まず相手の悩みをしっかりと聞かなければなりません。
上記の西來師は、まず相手の話をしっかりと聞き、そして何度か面談を重ねるうちに相手の言葉にならない心の奥の思いを聴く事が大切だとおっしゃっていました。
お釈迦さまは、どのような様子で人々の話を聴き、そしてどのように教えを説いていったのでしょうか。
もし現代にお釈迦さまが生まれていれば、名カウンセラーになっていたかもしれません。
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