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2010年8月 [月々の法語]

本願を聞きて疑うこころ無きを聞というなり

“Hearing” is to hear the Primal Vow and be free of doubt.

『一念多念証文』より


 この本は『一念多念証文』という書物に載っている言葉です。親鸞聖人が師匠である法然上人のもとで学んでいた時、弟子たちの間である論争が巻き起こったそうです。それは念仏の回数についてでした。皆さんは、お念仏を多く称えた方が良いと思いますか?少なくても構わないと思いますか?


 多くの弟子たちが「多念」つまりなるべく多くの念仏を称えるのを良しとしましたが、 親鸞聖人を含む数名が「一念」すなわち生涯ただ一度の念仏でも良しとしたのだそうです。

 結論を申しますと、そもそも回数にこだわる必要はありません。



 さて、今月の言葉、パッと見て「あれ?」と思われた方もいらっしゃると思います。

「本願」は、阿弥陀さまが私たち一切衆生を救いたいという願いの事です。その本願を私たちが聞いて疑わない、それを「聞」という。と書いてあるのです。「聞」ではなく「信」とか「信頼」だったら意味は通じますが、なぜここで「聞」という言葉が出てくるのでしょう?


 実は真宗では、聞く事と信じる事に密接な関係にあると考えています。「聞即信」という言葉や「聞くというは、信心を表すみのりなり」という言葉があります。


 また浄土真宗は聞くことを大切にしています。お位牌に描かれる名前は「戒名」ではなく「法名」といいます。「戒名」は「仏教徒の守るべき戒律(ルール)を守ります」という決意を表す名前です。対して法名は「戒律を完全に守る事は出来ないが、仏さまの教え(法)を聞き続けます」という決意を表しているのです。ただ1度「聞く」のではなく「聞き続ける」のが大切なのではないでしょうか。



 先日ある方と話していたのですが、その方、自分で会社を興して事業を始めました。1年目、2年目、3年目と赤字が続いて、借金だけが膨れ上がり、その時は「いつ死のうか」とばかり考えていたんだそうです。そんな最悪の状況で、さらに詐欺に引っかかってしまいました。

 「返済能力があるかどうか確かめるために、25万円振り込んで下さい。振り込み確認が出来たら、25万円プラス融資金額を即日振り込みます」と言われたんだそうです。


 ここでこうして聞いていれば、いかにも詐欺らしい言葉ですよね。でも、仕事と借金で周りが見えなくなっていたその方は、ワラにもすがる思いで25万なんとか捻出して、振り込んだ。これがものの見事に詐欺だったんだそうです。

 ちなみにこの方、こんな最悪の状況になって、改めて自分を見つめ直し、仕事のやり方も見つめ直し、今では仕事も軌道に乗っておられますのでご心配なく。



 平常心でない状態で聞いた言葉を信じる。または一度聞いただけで信じてしまう。これは浄土真宗で言う「信」とは違うものだと思います。

 親鸞聖人も、師匠の法然上人のお弟子さんになるまでに、100日間もの間、お説教を聞き続けました。私も、今日はこうして前でお話しさせて頂いてますが、機会があれば必ず他のお坊さんの話を聞き続けています。

 皆さんも、毎月でなくても結構ですし、私の所で無くても結構です。お説教でなく本を読むのも良いかと思います。ぜひ仏教に触れ続けて欲しいと思います。


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