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2010年11月 [和庵だより]

◇晩秋の台風◇

 この「なごみ庵だより」がお手元に届く頃には通り過ぎていると思いますが、十一月を目前にして台風十四号が上陸をするかもしれない、と報道されています。

 一週間前には奄美大島で記録的な豪雨災害があり、一時は全く島の状況がわからず、親戚知人のある方は落ち着かない時を過ごされたと思います。
 自然の猛威の前には、人間の力など通用しない事を改めて思い知らされました。

 災害に関して江戸時代の禅宗僧侶、良寛禅師のこんな言葉があります。

 災難に逢う時節には
   災難に逢うが良く候
 死ぬ時節には
   死ぬが良く候
 是は災難を逃がるる妙法にて候

 これは近隣で大地震があった際、知人への見舞いの言葉と言われています。送られた人はどう感じたでしょうか。おそらく良寛さんの事を良く知っている方に送った言葉でしょうから、苦笑いを浮かべながら読んでいたのではないかと思います。
 欲を捨て、達観を極めた良寛禅師ならではの見舞いの言葉だったのでしょう。その良寛さんは、こんな辞世の句を残しています。

 良寛に 辞世あるかと 人問わば
  南無阿弥陀仏と 言うと答えよ


☆仏教のことば☆
 「どっこいしょ」

 人間は逞しいもので、台風や地震の被害に遭って一時は肩を落としても、「どっこいしょ」と立ち上がり、復興を始めます。
 少々無理やりですが、今月の言葉は「どっこいしょ」です。語源には主に二つの説があり、一つは「何処へ」という言葉が変化したという説。もう一つが仏教を起源とする説です。

「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」という言葉があります。
 六根とは、人間の五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)に心の働きを加えた「眼・耳・鼻・舌・身・意」の六つを指します。この六根の汚れを取り除くために修行者は、山を巡ったり滝に打たれたりしながら「六根清浄、六根清浄」と一心不乱に称えたのだそうです。この言葉が縮まって「どっこいしょ」になったそうです。

 六根の汚れを取り除くために山に入った修行者は、山を降りて清らかさを維持できたのでしょうか。いえ、それが出来ないからこそ山で修行をしたのでしょう。

 古来より、本当の隠遁者は山に住むのではなく町中に住むのだそうです。
 子どもと遊び人々と交わり、酒を嗜み飄々と生きた良寛禅師こそ本当の隠遁者です。在俗にありながら六根を清らかに保つ。私たちには真似が出来ないからこそ、今なおその魅力は衰えないのでしょう。

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