SSブログ

上智大グリーフケア講座 第5回目 [カウンセリング]

「あれ? 第4回目は?」と思った方、あなたは当ブログの愛読者ですね!(笑)
実は第4回の日は岐阜県に出張しており、残念ながら欠席。という事で1回飛んで第5回目です。

今回のご講師は上智大学文学部哲学科の教員、寺田俊郎先生です。寺田先生は上智大グリーフケア研究所の研究員ですが、グリーフケアの専門家ではないのだそうです。今回は哲学的な視点でグリーフケアを掘り下げていきました。

まず「ケア」とは何ぞや、です。哲学的な雰囲気が漂って参ります (^_^;) 

そういえば色々な場所で「ケア」という言葉が使われますね。でも、横文字を使うのではなく出来れば日本語を使いたいものです。しかし「ケア」という言葉が意味する範囲が広過ぎて、それをひと言で表す日本語が存在しない、のだそうです。

日本語の「お陰さま」や「勿体ない」という言葉を表す外国の言葉が無い、と聞いた事はありませんか? その逆で「ケア」を表す的確な日本語が無いのです。
ケアは「心配・気掛かり・注意・配慮・世話・保護・関心事・責任を持つ事柄」という意味があるそうで、確かにひと言では表せなさそうです。先生によると最も近い日本語は「大切にする」ではないか、という事でした。


さて「哲学カフェ」という対話の場所があるんだそうです。名前通り喫茶店などで集まり、哲学的なテーマを決めて話し合う。一方的な講義ではなく、参加者はあくまで対等な立場で語り合う。哲学カフェという名前だけど専門的哲学用語をなるべく使わない、というのがルールなのだそうです。

昨年の東日本大震災直後、もちろん東北で定期的に行われている哲学カフェは休止を余儀なくされました。東北以外の地域でも「今、哲学じゃないだろう」と休止する事も多かったでしょう。

しかし、当の東北で思ったよりも早く哲学カフェは復活しました。テーマは「いま『ふくしま』で哲学するとは?」や「祈りは被災者のためになるか」、「震災と文学 『死者にことばをあてがう』ということ」などで、多くの人が集まるそうです。

出席者の一人は「食料・ガソリンに続くライフラインは『対話』ではないか。人間はコミュニケーションをとらないと生きていけない」と述べる。

キリスト教の「人はパンのみにて生きるにあらず」という有名な言葉を思い出しました。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。