2013年5月の法語 [月々の法語]
鈴と、小鳥と、それから私 みんなちがって みんないい
A bell, songbird, ando me All are different, all just right.
金子みすゞ
今年のカレンダーの言葉は、様々な念仏者の言葉から選ばれています。5月の法語は、言わずとしれた金子みすゞさん、その代表的な詩の有名な一節です。詩の全体は以下の通りです。
『私と小鳥と鈴と』
私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、地面を速く走れない。
私が体をゆすっても、きれいな音はでないけど、
あの鳴る鈴は私のように、たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。
解説も今さらな感がありますが、みすゞさんは明治末に山口県の日本海側の漁村、仙崎に生まれた女流詩人です。当時一世を風靡していた童謡詩の雑誌に自作の詩を投稿し、すでに著名な詩人であった西条八十の目に作品が見出され、詩人として活躍をします。
一方私生活は恵まれておらず、文学活動に理解を示さない夫との間に溝が生じ離縁。病気にもなり、最終的には自死をされたました。
なごみ庵の法話会で、最初の頃は毎回みすゞさんの詩を解説していましたのですが、今月の寺報を読んで「みすゞさんの詩の解説、復活ですか?」と言ってくれた方がいました。以前のことを覚えていてくれて、とても嬉しかったです。
さてこの詩、題名は「私と小鳥と鈴と」です。みすゞさんが、自分自身と小鳥と鈴を比較しています。この「他者と自分を比較して優劣をつける」という行為は、非常に人間的なもので、みすゞさんも凡夫である以上、そこからは離れられません。そしてみすゞさんは「私」を最初に持ってきています。
私自身も思い当たるふしがあります。自分を認めて欲しい、自分が優れていると思われたい、自分が立派な僧侶と思われたい。私はそんな思いを絶ち切ることが出来ません。親鸞聖人はそんな人の心を「名利(みょうり)」とおっしゃいまいした。
主著『教行証文類』には「悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没(ちんもつ)し、名利の大山(たいせん)に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証(さとり)に近づくことを快(たの)しまざることを。恥づべし、傷むべし」と記されています。
「名利の大山に迷惑して」とは、名誉を求める心が大きな山のように大きく深く、そこに迷い彷徨っている」という意味です。
さて、みすゞさんの詩に戻ります。自他を比較していたみすゞさんはこの詩の後半、名利を求める人間の視点から突如として仏さまの視点に立ちます。タイトルでは「私・小鳥・鈴」の順番であったのが、全く逆に「鈴と小鳥とそれから私」と自分を最後に持っていきます。
そして「みんなちがって みんないい」と比べることのない世界、差異をそのまま受け入れ認める世界に飛翔しているのです。
みすゞさんの実家は書店でした。浄土真宗の熱心な土地柄であったこともあり、地域の文化人が集まって親鸞語録である『歎異抄』を学ぶ会が開かれていたそうです。
おそらくみすゞさんも、その勉強会を聴いていたのではないでしょうか。そして阿弥陀如来が人を救う絶対平等の慈悲心を知り、それがこの詩に結びついたのではないか、そんな気がいたします。
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