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2013年9月の法語 [月々の法語]

み仏をよぶわが声は み仏のわれをよびますみ声なりけり

My voice that calls to Amida is the voice of Amida calling to me.

甲斐 和里子

 今年のカレンダーの言葉は、様々な念仏者の言葉から選ばれています。9月の法語は、甲斐和里子さんのお言葉です。甲斐さんは江戸時代の末も末、慶応4年の6月にお生まれの方です。同じ年の10月に、元号が明治に変わっています。

 浄土真宗本願寺派のお寺に生まれ、明治の世の中でミッションスクールが多く創設されているのに比べ、仏教系の女子学校が少ないことから、京都女子大学の前身、顕道女学園を創設されました。


 さて「私たちがお称えする「南無阿弥陀仏」のお念仏は、自分の口から出ているけれども、仏さまからの呼びかけである」と以前にもお話しさせて頂いていると思います。妙好人 原口針水さんの「我称え 我聞くなれど 南無阿弥陀 連れてゆくぞの 親の喚び声」という歌がまさにそれです。

 話は変わりますが、神聖ローマ帝国の皇帝フリードリヒ2世の行った、とある実験があります。フリードリヒ2世は1200年代の人物で(ちょうど親鸞聖人と同じ時代ですね)、学問と芸術を好み、さまざまな実験を行った人物です。

 実話かどうか判然としませんが、その実験とは「親や家族から話しかけられない赤ん坊が、最初に何を話すのか」というものです。50人もの赤ん坊を集め、おそらく個別の部屋に入れたのでしょうね。そして乳母に「何も話しかけてはいけない」と命じました。結果としては、養育者からの愛情を与えられなかった赤ん坊は、皆死んでしまったという、予想外の結果になったそうです。

 似た話で、1970年代だったと思いますが、アメリカで最新式の乳児院が作られたそうです。設備も清潔、空調も整い、科学的に見て完璧な環境でしたが、他の一般的な乳児院に比べて死亡率が高かったのだそうです。この原因も、養育者からの愛情、話しかけ、スキンシップが無かったからだったそうです。

 養育者が声をかけ、肌を接して愛情を注いでくれる。こういったことが、人間が育っていくためにどれほど大切なことなのか、ということを表しているエピソードです。今ちょうど『ほとけの子』という仏教系の幼稚園・保育園で配られる冊子の原稿を書いているのですが、ここに「皆さんもどうか、お子さんにあらん限りの愛情を注いで育て下さい。それが将来、しなやかな強さとなって、その子を支えてくれると私は信じています。」と書かせて頂いています。


甲斐 和里子さんの詩

み仏を 呼ぶ我が声は み仏の

  我を喚びます み声なりけり

み仏の み名を称える 我が声は

  我が声ながら 尊かりけり

ともすれば 人のうへいう この舌も

  仏のみ名を 呼ぶ時のあり

西の方 遠にまします み仏は

  わが心にも また居ますなり

泣きながら み戸を開けば み仏は

  ただうち笑みて 我を見そなわす


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コメント 3

長さん

神聖ローマ帝国(今のドイツ)の話ですが。
フリードリヒ2世の時代。宗教勢力と国王(皇帝)
の力が、拮抗していたのですね。宗教勢力にとって、
織田信長同様、将軍~皇帝は、敵対勢力ですよ~。
 そこで日本の鎌倉時代には強かった、
フリードリヒ2世等、皇帝(国王)勢力が没落すると、
いよいよ宗教勢力である、法皇の権力が、ドイツでは、
日本の南北朝時代の14世紀の中頃には、たいへ
ん強く、絶頂期となるのですね。しかし15世紀に
入ると、ハンザ同盟等、近代の産業経済の走りの
時代が、早くも開始されるわけですが。そして
それに遅れること約150年で、日本では、
15世紀末、戦国時代の中期に、宗教勢力、
一向一揆が、ようやく強くなるわけですね。
遅れているのは結局の所、近代以前の
日本は、宗教も含めて文化的には辺境という事
ですね。なお、日本とドイツは中世社会が酷似。
14世紀中ごろは、日本もドイツも、こっちの守護大名
とあっちの諸侯が、実際には国土を分割して支配する、
どちらも室町時代のような分裂国家時代。ただし、
ドイツの方では日本じゃまだ弱い、宗教勢力が、
国王よりも強力な、法皇として存在する、我々から
見ると戦国時代と南北朝時代がミックスした不思議な
社会だったのですね。南北朝時代。日本では、戦に
負けると、坊さんになって出家する訳ですが、ドイツ
では、戦に勝った方が、法皇側近にのし上がるという、
宗教が一番強かった時代のようです。神聖ローマ
帝国時代のドイツ・イタリアは特に、キリスト教勢力の
動向に注意しながら日本の中世と比較して見ると、
結構面白いですね。

by 長さん (2013-09-25 16:04) 

ボーズandカナコ

海外の歴史もお詳しいですね〜 (^_^;)
by ボーズandカナコ (2013-09-27 21:56) 

長さん

フリードリヒ2世。ローマ法王と鋭く対立していたので、
敵の敵は味方で、アリスタルコスの地動説等の
反法王庁的学問、人間味のある反法王庁的芸術、
等に敢えて味方してたんでしょうね。こういうのを、
「ルネッサンスとローマは、1日にしてならず」とか
言うんでしょうかね。 相当残虐な王様だった、らしい
ですよ。
by 長さん (2013-10-01 09:24) 

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