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2014年11月の法語 [月々の法語]

衆生にかけられた大悲は無倦(むけん)である
Great Compassion for sentient beings is untiring.
廣瀬 杲(ひろせ たかし)

 今年のカレンダーの法語は、様々な念仏者や僧侶の言葉から選ばれています。11月は、大谷大学の名誉教授・学長までお勤めになり、一昨年2012年にお亡くなりになった廣瀬 杲師のお言葉です。
 私も恥ずかしながら詳しくは存じ上げなかったのですが、特に歎異抄について深い研究をされておられた方だったそうです。

 今月の言葉は、正信偈で源信僧都の段に書かれている「大悲無倦常照我」の部分を訓読したものです。この段は「極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我」で、現代語訳すると「極めて罪の重い悪人はただ念仏すべきである。私もまた阿弥陀仏の光明の中に摂め取られているけれども、煩悩が私の眼を遮り見ることが出来ないが、阿弥陀仏の大慈悲の光明は私を見捨てることなく常に照らして下さる」という意味になります。


 さて、今年のカレンダーの6月「深い悲しみ苦しみを通してのみ見えてくる世界がある」という言葉を発した平野恵子さんを覚えていらっしゃるでしょうか。平野さんは岐阜県飛騨高山のお寺の坊守さんで、3人の子どもを育てていた39歳の頃ガンを発症し、41歳で往生された方です。

 この平野さんと今月の言葉の廣瀬師にご縁がありました。
 ある時、平野さんの実家で法要があり、法話にいらしたのが廣瀬師だったのだそうです。おそらく平野さんのご実家もお寺で、法要のお説教にいらしたということだと思います。
 廣瀬師は「問いのないところに道は開けない。問いの無い人生は、それは寂しい。むしろ問いがあればこそ道が開かれ、救われていく」というようなことを仰ったのだそうです。

 法要の後、平野さんは娘を抱きかかえ、憤慨しながら控え室に行きました。実は平野さんの2番目の子、お嬢さんが重度の障害を持って生まれていて、最初の頃は子どもと一緒に死んでしまおうというほど悩み苦しんだのだそうです。
 平野さんは「今日はとても残酷なお話をなさいましたね。問いのない人が救われないというのであれば、この娘は生涯、口で問えません。なんで、こんな身体に生まれてきたの、と問うこともできない。そしたら、この娘は救われないし、生きる道が閉ざされてしまうということですか」と訴えたのです。
 おそらく重い障害を持った娘が心配でならず、法話を聞いてその娘が救われないような思いがして、いてもたってもいられなくなったのでしょう。

 平野さんの言葉に対し、廣瀬師は次のように応えました。「お嬢さんは問いがないと仰るけれども、どうしてそういうことが言えましょうか。お嬢さんは身体全体で問うておられませんか。問うということは、ただ言葉で問うというよりも、むしろ無言の問いというところに本当の問いがある。無言の問い、言葉にならない問いというものが、いかに深いものか。お嬢さん自身が身体で私たちに呼びかけておられる」と。

 そのお話を伺った平野さんは、「私はこの子を心配しているようで、子どもを見る眼が曇っていました」と言い、ガンの闘病生活を経て41歳で亡くなるまで、お念仏の教えを聞き続けられたのです。


 平野さんは、何を感得されたのでしょうか。平野さんは障害を持った娘が心配でならず、娘のことと自分の心配を一体にして、大きな塊にして抱えていたのではないかと思います。しかし廣瀬師のことばで、娘の生涯と、その娘を心配する自分、というように、悩みを個々に解体できた、ということではないかと、私は感じました。


※今回は、自分の考えだけでは納得しきることができず、法話会後の茶話会で、皆さんの意見をお伺いしてみました。そこで出たご意見も紹介させて頂きます。

Aさん…他者が障害児を見る「可哀想な子」という視点を、母である平野さんも持っていたのではないか。それが、廣瀬師の言葉をきっかけに、「親と子」の視点に転じていったのではないか。

Bさん…「可哀想な子」を抱えた「可哀想な自分」にという心境になっていたのではないか。

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コメント 2

長さん

この欄は、11月の法語よりも6月の法語の御解説が主体ですよね。なので6月の法語について、とりあえずコメントを。
人は、肩書に弱いですね。少なくとも現世の人々は。広報された肩書で、相手を判断します。ところが肩書。社会が認めたとか、選挙で選ばれたとかいう理由じゃなくて、「問題を抱えて苦しんでいる特定人物である」という理由で生じる、不思議なケースがあるようなんですね。
その場合。「見えてくる」世界っていうよりも、正直うれしいですねぇ。羨望の眼差しで、全てを知っている、あの世の仏様達には見られているようで。何れにしても私もやっと、深い悲しみの向こうに見えるものは、薄っぺらい、現世の名誉や欲得の世界とは全く違うもので、非常に強固なもので有る事だけは、どうやら確かなようだと気づく、歳にはなりましたよ。

by 長さん (2014-11-25 11:51) 

ボーズandカナコ

>長さんさま
う…そういえば平野恵子さんがメインのようになってしまいましたね (^_^;)
でも、平野さんの気付きをきっかけとして、廣瀬師の言葉を伝えられたらな、と思いました。
また、今回は法話の後に意見交換会ができ、これも良かったです。
by ボーズandカナコ (2014-11-25 18:27) 

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