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2012年1月号 [和庵だより]

 ◇水戸黄門◇

 十二月十九日、四十年続いた長寿時代劇「水戸黄門」が最終回を迎えました。第〜部の最後、という事ではなく、番組そのものの最終回でした。

 子どもの頃は親と一緒に見ていた記憶がありますが、中学生ともなると自分で見たい番組もあり、それから今までほとんど見た記憶はありませんでした。しかし終わってしまうとなると寂しく感じ、十二月に入ってから数回見ていました。
 
 久々に見た黄門さまはやけに強そうで、見慣れぬ助さん・格さん。風車の弥七もうっかり八兵衛も配役が変わっていて違和感を感じました。しかし話の所々では懐かしの役者さんも登場し、まるで同窓会のような雰囲気です。
 
 さて「水戸黄門」について私が感じたのは「まるで故郷や実家のようだ」という事でした。私が産まれた頃には始まっていましたし、この先もずっと放送するものと思っていました。
 また、ワンパターンとも言えるかもしれませんが、毎回騒動があっても必ず四十五分ごろに印籠が出てきて一件落着するので安心して見ていられます。
 
 「昔から将来まで、変わらずにそこにあってくれ、そして安心して戻ることが出来る場所」そんな印象から「故郷や実家のよう」と感じたのです。


 ☆仏教の言葉☆
  「還浄」(げんじょう)

 
 前回は「往生の素懐」という言葉が登場しました。この世でいのちを終え、浄土へ往って仏として生まれる、という意味でした。
 浄土真宗ではもうひとつ、命を終えることを指す「還浄」という言葉があります。「還」は「かえる」、それに浄土の「浄」が付くのですから「還浄」には「浄土にかえる」という意味があります。
 
 この言葉については様々な意見があります。「浄土にかえると言うからには、私たちのいのちは元々浄土にあったという事になるが、しかし浄土に往生するのはただ一度の事ではないか」という考え方、また「私に大切な事を教えていのちを終えた方は、浄土から来て浄土へかえった仏・菩薩の化身ではなかっただろうか」という捉え方もあります。
 いずれにしても、この世の縁が尽きたのち、私たちは浄土へ往生をするのです。必ず、共に、往く場所がある、還る場所がある。故郷のように、生家のように心安らぐ場所がある。
 私は、そう、信じています。

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