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2012年11月の法語 [月々の法語]

弥陀の誓願は 無明長夜のおおきなる ともしびなり

Amida’s Vow is a great torch in the long dark night of ignorance.

『尊号真像銘文』より


 今年のカレンダーの言葉は、親鸞さまの様々な著作から抜粋されています。今月は親鸞さまの『尊号真像銘文』からです。いかにも難しそうな題名ですが、尊号は掛け軸に書かれた名号、真像は掛け軸に描かれた高僧画の事です。そして、その上や下に書かれた経文を「銘文」といいます。親鸞さまの時代、本尊などとして礼拝の対象となっていた掛け軸の銘文を解説したものが、この『尊号真像銘文』です。

 今月の言葉が書かれているのは、親鸞さまの兄弟子、法印聖覚が描かれた掛け軸の銘文です。もともとは漢文で、全体はもっと長いものです。

 親鸞さまの解説は「誠に知りぬ、弥陀の誓願は無明長夜のおおきなる ともしびなり。なんぞ智慧のまなこ闇しと悲しまんや」で、現代語訳は「本当に思い知った。阿弥陀仏のお誓いは、長い暗闇の夜の灯火である。智慧の眼が曇っているからといって、悲しまないように」となります。

 ちなみにこの後「弥陀の願力は生死大海のおほきなる船・筏なり、極悪深重の身なりと嘆くべからず」という、対となる文章が続きます。この文は一昨年の9月のカレンダーに掲載されていました。

 さて、先月に続き法語の解説はここまでで、ここ1ヶ月にあった事などをお話しさせて頂きます。この1ヶ月は著名な方にお会いして、著書にサインを頂く機会が3回もありました。

 1回目は仏教伝道文化賞の授賞式。私は場違いにも参列させて頂いたのですが、受賞者はチベット出身で大学教授の白館先生。この方は一般向けの著書が無かったので、私は著書を持っていませんでした。

 同じ授賞式で奨励賞を受賞した、芥川賞作家で僧侶の玄侑宗久師。私が読んだ初の著書『アミターバ』を持っていき、初対面ですから緊張しながらお願いしました。授賞式だからでしょうか、壽という文字と宗久の「久」をアルファベットのQになぞらえた、可愛らしいサインでした。

 そして私が尊敬する西來武治師、12月16日の報恩講のご講師です。先生の著書は数冊持っているのですが、一番新しい本を持って行き「ぜひ今日の日付でお願いします」とサインして頂きました。添えられたひと言は「遠く宿縁を慶べ」。親鸞さまの言葉で「この自分が仏道に出逢う事が出来た、はるかな過去からの縁を慶んで下さい」という意味で、西來師の好きなお言葉だそうです。

 そしてもう1人は、夜回り先生こと水谷修先生です。いま上智大学でグリーフケア講座というものに通っていて、全10回で毎回ご講師が違うのですが、私が申し込みを決心したのは講師陣に水谷先生のお名前を見つけたからでした。

 水谷先生の姿を目に焼き付けたかったので、かなり前の方に座ったのですが、講義の前に「僧侶の方ですか?」と話しかけて頂き、ビックリしました。

 水谷先生は、もと高校教師で、深夜に繁華街を彷徨う子どもたちをなんとかしようと「夜回り」を始めた方です。その活動の中で多くの子どもたちを夜の世界から昼の世界に救い出し、その代償として暴力団などから嫌がらせを受けたり傷つけられたり、誰にも真似の出来ない事をなさっている方です。

 そんな先生ですから、多くの迷える子どもたちから相談を受けます。しかも、法的にも問題のある事をしてしまった子どもたちもいて「先生、援助交際しちゃった」「先生、何度も盗みを働いた」「先生、麻薬をやってるんだけど」「先生、人を刺しちゃった」…

 そんな声に対して水谷先生は「何でそんな事をした」「反省をしろ」「罪を償え」そんな事は言わないのだそうです。どんな事をしてきた子に対しても「いいんだよ」と言うのだそうです。「いいんだよ、今までの事は」と。そして「今までの道から離れたいんだろう、一緒にがんばろう」と続けるのです。

 相手がどんな事をしてきたのか。それが所謂善行か悪行かを問わない。悪行を犯したのであれば、そうせざるを得なかった状況を憎み、その子ども自身を憎む事はしない、という姿勢なのだと思います。

 そしてそれは、阿弥陀如来の姿勢にも通じます。立ち上がり今にも歩み出さんとしているそのお姿は「あなたがどんな生き方をしてきたか問わない、どんな生まれかも問わない、どんな亡くなり方をしてきたかも問わない、必ず救う」という誓いを表しておられます。

 水谷先生が阿弥陀如来のようだ…と言えば褒めすぎになってしまうでしょうか(苦笑)。それでも私は、親鸞さまの曾孫 覚如上人が祖父を「ただ人にましまさず」と讃えたように「水谷先生はただ人にましまさず」と感じました。


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コメント 4

長さん

 この文面を読み、「どんな生まれかも・・」のフレーズで
ふと、思い出しました。昔・坊さんはあんまり、出家前の
姓名を名乗りたがらなかったのですね。著名な例としては、
近年・明智氏の一族との噂の強い、「天海」があげられる
と思います。しかし、最近は御坊様は皆、戸籍が有るので
苗字を名乗るようになりました。その結果、わかる人には
生まれが解ってしまい、名乗れば問われやすくなり、
天海さんが江戸時代に懸念していたように、修業や説教
の効果に影響が出てくる恐れも出てきたのですね。たとえば、
ここの管理人のポーズ様を例にとれば、坊主頭の浦上など
ととぼけておられますが、御先祖さまは西播磨の旧地方名
浦上地方と何らかのかかわりのある、紀貫之または、藤原
氏系統または、武蔵児玉党の、それぞれ武家の御子孫の
いずれかであらせられるようだと、解るわけです。
まあここの管理人のぼーず様は、中世・南北朝時代や
戦国時代に生きてはおられないので、特に関連はないの
かもしれませんが、武家は合戦で切り合いが多く、
御先祖様は、仏法の戒律との関係で、平安時代に続く
末法の世を救うべく現れたとされる、阿弥陀様を
頼られた方もおられるのでしょう。
中世のぼーず様の御先祖に、もし御坊様がおられると
すれば、仏門に入られてからは、阿弥陀様が過去は
問わないとされているとはいえ、切り合い稼業の切り
合いが誇りの武家の一族だと解る、苗字・氏・素性は、
上野寛永寺の天海上人と同様、隠す事が多かった
のではないかと察せられますね。
日本人なんて、多くの方が、苗字からして、仏教的に
見て罪深い人間が多いわけなんですねぇ。

by 長さん (2012-12-04 14:46) 

ボーズandカナコ

>長さんさま
お久しぶりです (^_^)

歴史や氏族については詳しくないもので何とも言えませんが、10代さかのれば直接の先祖は2000人を超え、平安時代に遡れば今の日本の人口を超えるご先祖さまがいます。

であれば、どなたの先祖にも、僧侶も武士も盗賊もいたでしょう。
それに、人を殺めなかったとしても、毎日他のいのちを奪わずにはいられない私たちです。

なので、私はあまり先祖が何をしたか、とは気にならないですね。個人的な意見ですが。
by ボーズandカナコ (2012-12-05 16:39) 

長さん

 私の御先祖様の一人は、江戸末期に戒律のきつい
律教系の坊さんだったらしく、幕末黒船を攘夷打ちに
するため、水戸の殿様から寺の鐘を、大砲の材料とし
て拠出するよう圧力をかけられた時に、身の危険も
顧みず、自分の寺の梵鐘を隠して差し出さなかったとの、
伝説があるお方のようです。以前、寺跡の天満宮神社に
お参りして、「わが一党の誇り」と唱え、大いに讃えた
ところ、しばらくして私の夢枕に立たれて、大笑いを
されておられました。
というのも御先祖様と私の共通の苗字は、秦氏の一族
からその昔、武芸を伝授され、やがて免許皆伝となった
折に、褒美として、開祖が名のりを許された、武家を
象徴する合戦苗字だったようなのですね。
by 長さん (2012-12-06 15:51) 

ボーズandカナコ

>長さんさま
気骨のあるご先祖さまですね!
by ボーズandカナコ (2012-12-06 23:21) 

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