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2013年6月の法語 [月々の法語]

仏智に照らされて 初めて愚鈍の身と知らされる

Illuminated by the Buddha’s wisdom, for the first time, I am made aware of my own foolishness.

信國 淳(のぶくに あつし)

 今年のカレンダーの言葉は、様々な念仏者の言葉から選ばれています。6月の法語は、大谷専修学院の学院長をされていた信國淳師のお言葉です。


 2500年前のお釋迦さまの時代、人々の平均寿命は30代だったと言われています。小さな子が亡くなることが多いので平均の数字が下がるのですが、おそらく成人した方の平均寿命も50歳ほどだと思われます。

 全体の平均寿命が50歳を超えたのは、なんと昭和22年。その後平均60歳を超えたのが昭和25年ごろ、平均70歳を超えたのは昭和37年ごろ。現在は80歳を超えています。これだけ数字が伸びたのは、人間の科学・医学の発展の賜物で、まさに人類の叡知の素晴らしさを現しています。

 それに対し、160万人、610万人、700万人、1940万人、1億780万人。この数字はなんだと思いますか? 16世紀~20世紀までの推定戦死者数だそうです。これだけ数字が伸びたのは、人間の科学技術の発展の賜物ですが、しかし人類の愚かしさを露呈しているように思います。

 もちろん、戦争で発達した科学技術が後に人を救う技術になる事もあります。便利な生活をもたらしてくれる面もあります。でも、戦争を経なくても科学は発展出来るのではないでしょうか?

 それを思うと、私は今月の言葉が身に染みるように感じられます。

 話は変わりますが、今年の3月の法話会においで頂いた、私の敬愛する師、西來武治先生がお亡くなりになりました。親鸞聖人と同じ数え90歳でした。

P1030581.cng.jpg

 私とは50歳も年が違いましたが、私は先生の大らかさと威厳と親しみやすさと謙虚さと、全てに魅かれておりました。親鸞聖人も師・法然上人と40歳差がありましたが、このようなお気持ちで師を慕っていたのでは、と思います。また先生からも、非常に目をかけて頂いていました。

 昨年の暮れから体調を崩され、最近は自らの死した後について相談したい、と連絡を頂いていました。私は「先生も私も僧侶です、『そんな事をおっしゃらないで』とは言いません。及ばずながらご相談させて頂きますので、いつでもお呼び下さい」とお返事をしていたのですが、その機会の無いまま、ご往生をされてしまいました。体調は悪かったものの、突然のことであったようです。

 西來先生の座右の銘は「遠く宿縁を慶べ」でした。以下、先生のネット上の日記から引用いたします。

 私たち親鸞聖人の教えをいただく真宗では、ご法話の前に、そのご法話の内容を表徴する「讃題」を挙げます。教行証文類のお言葉であったり、ご和讃であったりします。 

 私はよく教行証文類の総序にあります「ああ、弘誓の強緑(ぐぜいのごうえん)多生(たしょう)にも値(もうあ) ひがたく 真実の浄信(じょうしん)億劫(おっこう)にも獲がたし。たまたま行信(ぎょうしん)を獲ば、遠く宿縁を慶べ」と いうお言葉をいただきます。


現代語訳:ああ、この大いなる本願は、いくたび生を重ねてもあえるものではなく、まことの信心はどれだけ時を経ても得ることはできない。思いがけず この真実の行と真実の信を得たなら、遠く過去からの因縁をよろこべ(この場合は「慶べ」ですが、私は「慶ぶ」と受け取っています)。


 ということですが、私の毎日を振り返ると本当にいろいろの出会いがあります。その出会いによって今の私があるといってよいでしょう。

 その出会いは偶然ということであっても、それは仏の方から働きかけてくれた、ありがたいご縁であり、それを慶ばせていただくというのが真宗の解釈であり、味わいです。私の仕事もすべて、このご縁のある方がたに支えられ、求められてのことです。それはそのまま仏縁の慶びです。あなたもぜひご縁に遇ってください。


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コメント 4

長さん

>もちろん、戦争で発達した科学技術が後に人を救う技術
>になる事もあります。便利な生活をもたらしてくれる面も
>あります。でも、戦争を経なくても科学は発展出来るので
>はないでしょうか。

これって、国際化を睨んだ我が国の学校教育現場に於いて
は、数十年前から学生が、繰り返し刷り込まれた思想だと
思うのですが。日本の場合、現実社会では、この「西洋式
反戦思想」は、あんまり普及していないと私は思うのですね。
確かに軍事技術が進んだせいで、19世紀後半から21世紀
初頭までの国家間戦争で、大量の死人が出た事は事実で
すが。
ただ、日本列島に関して言えば、生産性が悪く、国内の食料
供給が人口の増加に比べて遅かった、南北朝時代から安土
桃山時代までが、列島を分断して、熾烈な武力抗争が続い
た時代である事が、歴史上は確かなんですね。そして、
明治以降は、西南の役以後、日本列島内では争いがほぼ
無くなり、本当にそれをしなければ、日本人が飢えて死人が
出るほどだったのかは、もったいない思想の普及したこの
国の状況では不明なまま、近隣アジアの外国の地下資源
を求める、物まね旧日本軍による、アジア大陸への侵攻が、
1945年まで続いたんですね。その結果として、国内全体
で相当の数の戦死者を、確かに生んだのですが。
 以上の事から皮肉にも、近世以前の日本国内での、科学
の未発達のおかげで、日本に住む我々の場合、食料自給の
生産性を上げる、明らかな要因になった科学は、軍事技術
導入より以前に、日本列島に住む人間を、根本的に飢餓に
よる戦闘から助けたのではないかと言う、世論が江戸時代
の末ころからあるのですね。そのため、ゆっくり科学技術の
発達が行われ、何が我々を救っているのか良く判らない
西洋社会よりも、科学信仰が強いのが、奥底、この国の
社会の、民の世論なのではないかと感じます。
 そのため、結果として良かったように思いますが、
1945年以降、日本は、アメリカやイギリス、ひよっと
して中国とも、全く違った道を歩んでする国のように、
私には思えますがね。
by 長さん (2013-07-01 15:19) 

ボーズandカナコ

>長さんさま
近代史にもお詳しいですね (^_^)
by ボーズandカナコ (2013-07-04 08:13) 

長さん

詳しくないですよ。私が知っているのは、西暦1945年から
2013年までの68年間、現実として内乱も外戦も無いのは、
日本列島内では、江戸時代以来の珍しさだ、という程度の
知識ですからね。特に関東では戦乱が多く、江戸時代の
前は、平安時代。西暦1200年あたりまで遡らないと、
こんな時代は無いんですね。なお鎌倉時代には、末期より
60年程度前に蒙古来襲があり、その前には三浦氏の乱、
その前には後鳥羽上皇の乱があり、その前は源平合戦
でしたね。
by 長さん (2013-07-04 17:28) 

長さん

訂正です。100年ズレてました。
×西暦1200年→◎西暦1100年

by 長さん (2013-07-05 15:38) 

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