2013年7月の言葉 [月々の法語]
「まかせよまかせよ」如来の声 「おまかせします」私の声
“Entrust yourself to me,” the Tathagata calls to me. “I leave everything up to you,” I answer in response.
鈴木章子(あやこ)
今年のカレンダーの言葉は、様々な念仏者の言葉から選ばれています。6月の法語は、鈴木章子(あやこ)さんのお言葉です。
鈴木さんは、北海道斜里郡の大谷派寺院の坊守さん、そして幼稚園の園長さんもされていました。どちらか片方だけでも大変お忙しいのに、元気いっぱいに両立させていて「頑張れば何でも出来る!」がモットーのパワフルな女性でした。
しかしある日、園児が園長先生の胸に飛び込んできます。頭が胸に当たり、痛みを感じる。おかしいと思って病院で検査を受けると、乳がんになっていました。
そこから闘病生活が始まるのですが、今までの元気いっぱいの生活と180度変わってしまうのです。手術後、見舞いに来た息子に心配をかけまいと、「手をぎゅっと握って、アハハと笑おう」と思うのですが、術後の体はいうことをきかず、力を出ない、笑い声も出ない。出るのは涙だけ。励まそうと思った息子さんに、逆に励まされてしまったのだそうです。
「頑張れば何でも出来る」と思っていた自分が、何も出来ない無力な自分になった時、今月の言葉が生まれてきたのではないでしょうか。真宗では他力、つまり阿弥陀如来の本願力を頼みの綱とし、お任せをいたします。
『「まかせよまかせよ」如来の声』は「南無阿弥陀仏のお念仏を称えて下さいな」という仏さまからの呼びかけです。そして「おまかせします」という私の声も南無阿弥陀仏となって口から出てくるのです。
ちょっと分かりにくいかも知れませんが、私たちの口から出るお念仏は、仏さまからの働きかけによって出てきている、ということです。
英訳の再日本語訳を見ると「 I answer in response=私は応えて答えます」とありますが、これは「(仏さまの呼びかけに)反応して、答えている」ということになります。
また例えて言うと、赤ちゃんに親が「ママですよ、お母さんですよ、パパですよ、お父さんですよ」と繰り返し語りかけることで、ついに赤ちゃんが「応えて答える」、これに似ていると思います。
春秋の彼岸に発行している『よびごえ』という機関紙のタイトルも、同じく仏さまからのお呼びかけという意味です。
鈴木章子さん、闘病生活をしながら多くの詩を書きます。私が好きな2つの詩を紹介します。
「ヘドロ」
体力が回復するにつれ こころに ヘドロがまとわりついてきた
癌告知のあとの あの数日間の 洗い流したような
われながら サッパリとした 清涼なこころが 汚れてゆくのがわかる
癌の告知を受けて、「自分のいのちは終わるのではないか」と思い、今までの考え方から生活から大きく変わっていかざるを得ない。しかし体力が回復し「まだまだ生きられるかも知れない」と思うと、途端にヘドロ、これは人間が持つ情愛だったり執着だったり、つまりは煩悩がまとわりついてきた、ということだと思います。
もう一つは、闘病生活の末、47歳でお亡くなりになります。恐らくそれに近い状況で書かれたであろう詩です。説明は不要だと思います。
「願い」
死の別離の 悲しみのむこうに 大いなるふる里の灯が見える
慎介 大介 啓介 あなた この灯をめざして歩んで欲しい
あなた… 私の還ったふる里 子供達に教えてあげて…
鈴木章子坊守さん。バリバリの現役の頃は、御忙しくて、
定期健康診断も、忘れがちだったんですかねぇ。それに
しても発見が遅れると、完治しにくい。怖い病気ですね。
これからは、女性はパワフルよりも、食事に対する細やかさ、
大豆タンパクや、発酵食品に対する興味の程度で、
賞賛される時代か? なったらどうするより、私のような
凡人は、やっぱり、「自分の病気だけは早期発見を願って」
死なないように願うといった、さもしい発想に傾きますね。
なお最近は、癌転移性に関する知識が広まったので、
「体力回復し」ても、患者さん。「こころ」は昭和の時代と
違って、あんまり、明るくはならなくなったんじゃないかと
感じました。患者の側の病気に対する、知識量は情報社会
で飛躍的に増したと、上記文面からは感じましたね。
なお遺伝性のリスクが発見されると、さいきんは、乳房を
切除予防するというのが、話題になってますね。
by 長さん (2013-07-25 10:19)