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相談をキレッキレで論破してはいけない [その他色々]

ネットで「女性の相談内容をキレッキレの内容で論破する住職の回答」という記事を目にしました。
http://corobuzz.com/archives/79524

合掌女性.jpg
瞑想の大家として、また多数の著書を出している高名な僧侶の小池龍之介さんが、ある女性の相談に回答しています。まずは記事の内容を引用します。

<女性からの相談内容>
私は男性を信じることができません。怖いというより、嫌い。話をしてもつまらない、頼りにならない、といった感情です。

東日本大震災の影響で不安が募り、若い男女に結婚志願者が増えているといいます。私はそれを聞き、「なぜ?」と思いました。知識を得ていけば、男性に求めなければいけないことなどそれほどないのではないかと思ってしまいました。

昔の日本男児だらけの日本であればそうは思わないと思いますが、現代男性のように打てば崩れる人たちに何かを求めようとは思えなくなってしまいました。現在お付き合いしてくれる方がいますが、全くと言っていいほど普通のコミュニケーションを取ることを自分で制御してしまいます。

頼りにできない人間と結婚という形を取るのか、尼さんになることも手なのかもしれない。この状況を打開できる方法を教えてください。

<それに対する小池さんの回答>
男性に対する期待値が異様に高いため、自縄自縛で苦しんでおられる。それが、文面を拝見しての第一印象です。

男性に対して端的に興味がない人は、わざわざ「嫌い」とも感じませんし、「打てば崩れそうで頼りないからダメ」と、ことさらに否定したくもなりません。

「自分を楽しませられるよう、会話をリードすべきだ!」「頼りがいがあって、ただ一方的に自分を守ってくれる人であるべきだ!」。そうして幼児みたいに庇護されたい欲望を持っておられるがゆえにこそ、それを満たせない現実の異性に嫌悪感を抱かれているのでしょう。

けれども、よくよく考えてみれば、「頼りにできない人間と結婚かあ…」と迷っておられる傲慢さ以外に、いったいご自身は相手に何を差し出しているのでしょうか。

かつての「日本男児」ですら、徹底的な男尊女卑の特権を得ることといわば交換に、女性を庇護していたのです。現代のように男女平準化した時代に、何も差し出さずに「ただ勇ましく庇護してほしいよー」と駄々をこねても、そんな人を心から愛し守ろうと思える聖人君子は、この世にいません。

ご自身の陥っている状況を客観視するには、反対側から考えてみるのが役立つかもしれません。すなわち、「近頃の女性は、女らしいおしとやかさも、かれんさもないから好きじゃない」とスネている男性に対して、あなたはやさしく、ないしは女らしく振る舞おう、という気になるでしょうか。

「他人の過ちを大げさに取り上げることにより、イカサマ師は自分の過ちを見えなくしてしまう」とは、『法句経』に残る釈迦の言葉です。

「頼りがいのある男性に出会えないのは、自分の性格ゆえでは?」と、視線を180度転回してはいかがでしょうか。


確かに切れ味鋭く相談者さんに切り込んでいます。でも私は「厳しいな」と感じてしまいました。
小池さんは僧侶として多くの人に尊敬される方ですし、極めて知的で素晴らしい方だと私も思っています。でも、そうであるが故に、「正しすぎる答え」になってしまっていると感じました。

詩人の吉野弘さんは「祝婚歌」の中で…
正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい。
正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気づいているほうがいい

と書いています。
そう、正しい言葉が相手の心に響くかというと、必ずしもそうではないと思うのです。
小池さんは相談者さんの問いに「答えて」いるかもしれませんが、気持ちに「応えて」はいないと思うのです。

もし私だったら、こう応えたいと思います。


はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。

男性に対し、信じることができない、嫌い、つまらない、頼りにならない、という気持ちをお持ちなのですね。とても手厳しいご意見で、男性のひとりである私としては、少し切ない気持ちになりました。

それはさておき、中世や近世、昭和中期ごろまでの時代と比べ、現在は女性が1人で生きていくことも比較的容易になっていると思います。結婚をしないという選択肢も、やはり以前と比べて充分理解されるご時世です。ですから相談者さんは、ことさら無理をして男性と付き合ったり結婚する必要はないと思います。

でもあなたは誰かに相談したいと思い、「この状況を打開できる方法を教えて下さい」と仰っています。今の自分の気持ちを変えてくれるような男性に出逢いたい、という気持ちがあるのではないでしょうか。
また「現在お付き合いしてくれる方がいますが」と書かれている部分に、男性に何か期待をする気持ちがあるように感じましたが、ご自身ではどのように思われますか?


納得出来ないまま結婚する必要もありませんし、結婚しないなら尼さんに、というのは前時代的な考えかと思います。
今まで通りシングルで生活していけば良いだけのことです。その上で、信頼できたり愛したり、あるいは「守ってあげたい」と思う男性との出逢いがあれば、それが何歳の時であっても結婚や同棲を考えれば良いのではないでしょうか。

そんなパートナーにいつか出逢える日が来ることを、心より念じております。

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ぴよ

んー、「回答が正しすぎてはいけない」というのはどうなんでしょうか。
仏教の道理とは負の要素も自己による解決をしていくことではないでしょうか。
この質問者さんのように忌む感情や言葉が出てしまっている人に対して、仏教に基づいてその感情を解消するという意味では、小池さんの回答は極々当たり前であり、僧侶としての責務を全うしているものだと思います。
小池さんの他の相談回答を拝見しましても、質問者の忌む感情は質問者自身でしか解決出来ないことを知っているが故に、それを促しているように感じます。
同調してほしいならカウンセラーにでも相談すればいいし、気の利いたことを言ってほしいならそれこそ詩人にでも相談すればいいのではないでしょうか。
坊主に相談するなら説法される覚悟で相談すべきだと思いますね。
by ぴよ (2019-08-03 14:07) 

ボーズandカナコ

ぴよさま
はじめまして、ずいぶん前の記事にコメントがついて、驚くやら嬉しいやらです。

ぴよさんが仰る「んー、『回答が正しすぎてはいけない』というのはどうなんでしょうか」というのは、タイトルの「相談をキレッキレで論破してはいけない」と、文中の「『正しすぎる答え』になってしまっていると感じました」の部分が組み合わさったものでしょうか。

別々の部分が繋がると、意味が変わってきてしまいますね。
私も、正しいことはしっかりと伝えるべきだと思います。
ただ、伝えるタイミングや言葉、状況などなど、相手の気持ちを慮ってお伝えしたいと、私は思っております。

「仏教の道理とは」というお言葉もありましたが、お釈迦さまが人と相対する態度は「応病与薬」と喩えられました。まるで医師が患者の病気に応じて治療や投薬をするように、悩める相手に応じて答え方を変化させていったという意味です。

ですので、相手の顔も見えず声も聞こえない新聞紙面上での問答は非常に難しいものになると思います。だからこそ、強い薬を投与して賭けに出るような方法を取りたくないと、私は思っています。

ご意見、有り難うございました (^人^)
by ボーズandカナコ (2019-08-03 22:58) 

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