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お芝居のようなお葬式〜中島淳彦さん、逝く〜 [その他色々]

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ホンキートンクシアター、道学先生、青年座、文学座、ヴォードヴィルショーなどなど名だたる劇団に脚本を提供し、また多くの演出も手がけていた人気脚本家・演出家の中島淳彦さんが58歳の若さで亡くなり、その通夜葬儀をお勤めするご縁をいただきました。

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創作と演出の才能だけでなく音楽的な才能にも恵まれ、落語家の春風亭翔太師匠(中央)、俳優の六角精児さん(左)と共にバンド活動もなさっていました(中島氏:右)。
芝居の中にも中島氏ご自身が作詞作曲した歌曲がよく流れ、音楽の持つ力の大きさを実感させてくれました。

なんでそんな有名な方のご葬儀をお勤めすることになったかというと、舞台役者でもある坊守(妻)がここ十数年、中島氏の手がける女性だけの演劇ユニットに続けて出演させていただいていたことがご縁でした。
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特に7年前の作品『バリカンとダイヤ』では私もほんの少しだけお芝居に関わらせていただきました。
物語はある家庭の男性が亡くなり、その妻や3人の娘やご近所の女性などが、葬儀の日から四十九日までに繰り広げる悲喜こもごもの日々を描いたもの。

芝居の開始とともに舞台が暗転して読経が流れ、再び照明が灯ると骨壷を抱えた妻と娘たちが家に戻ってくるシーンから物語は始まります。
この冒頭の読経は中島氏の、「本物のお坊さんの声を使いたい」という希望を受けて私が稽古場に行き、女優陣の視線の中で変な汗をかきながら録音していただいたものでした。
以来、私の中では「自分は女性だけの劇団で唯一出演をした!」という妙な自慢話になっていたのです。
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中島さんの作品はどれもが面白く、坊守が出演する時は毎回お寺のご縁の方々を募り観劇ツアーに行っていました。観劇の後に食事に行くのですが、皆さん芝居の感想で話が止まらず、楽しい時間を過ごさせていただきました。

そんなある日、中島さんが病に倒れたと聞きました。当初は私も「きっとすぐに良くなって、また素晴らしい作品を生み出してくれる」と信じていたのですが、時おりお見舞いに行っていた坊守から聞く病状は芳しくなく……そして令和最初の師走のはじめ、還らぬ人となりました。


直後に共演者でもある奥さまから電話があり、「バリカンとダイヤの時に収録したお経を中島は、『とても落ち着くな、いいな』と言っていました。ですのでお通夜お葬式をお願いしたい」と仰っていただきました。

分不相応ではありますが、でもせっかくのお申し出ですし、ご縁のあった方の通夜葬儀、ぜひ自分が勤めたいと思いお受けさせていただきました。

人柄をお聞きしお付けした法名は
釋 筆生 淳楽 信士(しゃく ひっしょう じゅんらく しんし)

筆に生き、また筆で世界を生み出したこと。
お名前の淳と、音楽や楽しいことが大好きだったことから考えました。


中島氏の訃報は新聞やネットニュースにも載り、2日合わせて300名以上の弔問客が訪れる盛大な式になりました。
受付には中島作品によく出ていた役者たちが並び、私の横には同じく作品に出演していた坊守が副導師として付き、目の前には日ごろテレビでお見かけするような俳優・女優が大勢並び…なんだか自分が映画や物語の中に入り込んでしまったような不思議な感覚を覚えながらこんな法話をさせていただきました。

中島さん、聞いていましたよね。
いつかそちらに私が往ったら、ダメ出ししてください。


これほど才能あふれる方が病にかかり、もう新作を観ることが出来なくなってしまったのは、皆さんと同じように私も残念で悔しくてしかたありません。本人もきっとご無念だと思います。

しかしどんなに無念であっても、私どもの宗派では亡き方は仏さまとなって浄土に生まれると説いております。そして仏さまの特徴のひとつに天眼通、つまり千里眼があります。

あの中島さんが千里眼を得たら…皆さん、これはちょっと厄介ですよ。もちろん仏さまとして見守ってくださるのでしょうが、あれだけの脚本家ですから色々と物語のネタにされてしまうに違いありません。

中島さんが私たちを主人公とした物語を描く時、それが悲しい話や不条理な話になるのではなく、中島さんらしい暖かく楽しいストーリーになるよう、私も皆さんも共に一所懸命に歩んでまいりましょう。

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