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葬儀と宗教 [月々の法語]

ネットで「日本初! お坊さんのいないお葬式」という記事を見て、「いったい、どういうことだろう??」と不思議に思いました。
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別に否定的に感じたわけではなく、葬儀は仏式だけではなく神式やキリスト教式もあり、大規模宗教団体である創価学会は以前から友人葬という形式で僧侶は呼んでいません。

また近年、特に都市部では無宗教葬や直葬が増え、僧侶のいないお葬式が珍しいわけでも新しいわけでもありませんので、記事のタイトルを不思議に感じたのです。


疑問を抱いたまま記事を読んでみると、どうやら葬儀社が明確に無宗教葬をサービスとして提供する、ということのようです。

おそらく今までは、葬儀社が自ら無宗教葬を推し出すことはなく、喪主が望めばそのように進めるという流れだったでしょうから、ひとまず納得しました。

前述の通り、今までも実質的に「お坊さんのいないお葬式」は少なくなかったわけですし、葬儀社から「こういう選択肢があるんですよ」と提示されれば、特に菩提寺などの無い方は選択しやすくなるでしょう。

ですので、こうしたサービスが生まれたことで、今までも一定数あった無宗教葬が増えていくだろうなと感じました。


しかし3つの気になる点があります。

1つ目は、辞書で「葬式」と引くと「死者をほうむる儀式、葬儀」と出てきます。また「儀式」を引くと「一定の作法・形式にのっとって行われる行事。慶弔に際して行われる行事や組織体が行う行事など」とあり、宗教と限定されてはいませんが、何らかの作法・形式に則るものとされています。

ですので、宗教であったり地域に残っている何らかの作法を用いなければ、それは「葬式」と呼べるのだろうか? という疑念です。

別に昔通りにやらなくてはならない、ということではなく、大切な身内が亡くなるという重大事をいかに受け止めるか。その方法として国や地域や民族それぞれの方法で受け継がれ蓄積された智恵がありますので、それを省いてしまって大丈夫なのだろうか? と思います。

実際に、最近の直葬増加の影響もあってか、多くのお寺が「直葬をしたのですが気持ちの収まりがつかない、お経を上げて欲しい」という相談を受けた経験があります。

私にも経験がありますので、やはり人の心は一筋縄ではいかないのだな、と感じます。


2つ目は、「お坊さんのいないお葬式」の宣伝文句に「無宗教なのに、お葬式ではなぜお坊さんを呼ぶのだろう」と書かれていたことです。
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私の記事でも便宜上「無宗教葬」という言葉を使っていますが、実は日本人のほとんどは「無宗教」ではないのです。

「え? 私は特に何の宗教も信仰していませんよ!」という方は多いでしょうが、生まれた時からお宮参り・七五三・成人式・結婚式・葬儀など、神社やお寺・教会で儀式に参加したことが無い方はほとんどいらっしゃらないでしょう。

また、家に神棚や仏壇があったり、家族や親戚の法事への出席、初詣でやお盆の墓参り、クリスマスや大晦日の鐘つきなど、こちらも全く経験が無いという方はほとんどいらっしゃらないと思います。

これらの宗教的な事柄を徹底して避けるのが本来の「無宗教」ですから、様々な宗教と上手に付き合ってきた日本人は実は「無宗教」なのではなく…

非特定宗教信仰者

なのだと私は考えています。

また、動物と人間の違いはいくつか上げられますが、「死者を悼み弔う」ことも大きな違いのひとつとして上げられます。

そして、死者を悼み弔うことは宗教の大きな要素ですので、宣伝文句の「無宗教なのに、お葬式ではなぜお坊さんを呼ぶのだろう」には違和感を感じます。

本来は「無宗教なのに、なぜお葬式をするのだろう」となるのではないでしょうか。


最後に3つ目ですが、ちょっと驚いてしまいました。
会社のホームページに「供養」という項目があるのです。
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しかし「供養」はそもそも仏教用語ですので、お坊さんがいなくては供養になりません。

矛盾が大きすぎてコメントのしようがありませんが、会社の中でどのような話があったんだろうな、と想像してしまいました。


長々と書いてきましたが、葬儀にしても埋葬にしても、選択肢が増えることは基本的には良いことだと思います。
ただ、選択肢が増えたがゆえに迷う人も増えるのも確かです。

「いざ」という時では慌ててしまいます。
ぜひ「いざ」を待たずに、家族や周囲の人と話す機会を設けてみてください。

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