SSブログ

Eテレ「明日も晴れ! 人生レシピ」 [その他色々]

sml.IMG_0775.jpg
NHK Eテレ「明日も晴れ! 人生レシピ」にVTR出演をさせて頂きました!
http://www4.nhk.or.jp/jinsei-recipe/

毎週、色々なテーマで放送されているこの番組。
2018年10月26日放送回は「お寺で自分を見つめ直しませんか?」と題した放送。

最初に話が来た時は「お寺の修行について」という話だったので、「いや、浄土真宗って修行が無いんですよ」と答えたのですが、いわゆる修行だけではなく、「死の体験旅行」のような新しい取り組みや、なごみ庵の普段の様子も取材したいとのことで、お受けいたしました。

「死の体験旅行」と、当庵の行事は写経会を取材して頂くことに。
別日の撮影だったのですが、写経会にいらした時に他の取材先を尋ねたところ、「お坊さんQ&A hasunohaの代表の方と回答僧侶を取材する」とのこと。

私もhasunohaの回答僧を(サボりぎみですが)しているので、世間は狭いな〜〜と可笑しくなってしまいました。
https://hasunoha.jp


1週間後の11月2日(金)11時から再放送もあります。

なごみ庵での11月「死の体験旅行」申込はコチラ。
https://753an-ws201811.peatix.com/view

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

NHK Eテレ「人生レシピ」VTR出演! [その他色々]

NHK Eテレの「明日も晴れ! 人生レシピ」という番組にVTRで映ります!
sml.スクリーンショット 2018-10-20 10-20 7.58.46.jpg
http://www4.nhk.or.jp/jinsei-recipe/

「修行」をテーマに色々なお寺を取材していたようなのですが、なぜか修行の無い浄土真宗の私のところにも取材にいらっしゃいました。どうやら「修行」と平行して、お寺の現代的な取り組みという部分のようです。

また、お坊さんQ&Aハスノハや「自死・自殺に向き合う僧侶の会」で一緒に活動している浄土宗の東さん、ハスノハの共同代表の堀下さんも取材をお受けになったようです。

告知VTRを見ると、私の部分が全面カットにはなっていないようなので、ご紹介させて頂きます (^_^;) 
スタジオにはゲストとして、浄土真宗僧侶であり宗教学者でもある釈徹宗先生がいらしているようなので、どんなコメントが頂けるか楽しみです。

ぜひ10月26日の20時、また11月2日の11時に再放送されるようですので、お手空きの方はご覧頂ければ幸いです (^人^)

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

恐山 2日目 [その他色々]

一夜明け、早朝の恐山は朝靄がかかり、より一層この世でないような気配に充ち満ちていました。
43629444_1376897189113088_2660933368895504384_o.jpg
ってこの写真、私ではなく早起きして恐山境内をランニングしたMさん撮影のものを使わせて頂きました。

地蔵殿と本堂で朝のお勤めがあり、朝食を終えたあと、南師じきじきに境内の案内がありました。

sml.IMG_2526.jpg
火山性ガスのせいか、境内に草木はまばらで荒涼とした風景が広がっています。
写真の場所は「賽の河原」と呼ばれる場所。
幼くして亡くなった子どもが堕ちる場所で、「ひとつ積んでは父のため、ふたつ積んでは母のため」と石を積み上げるとこの世に生まれ変わることができる。
しかし積み上がろうとすると鬼がやってきて邪魔をする。

積み上がっている石は自然にできたものではなく、幼子を亡くして恐山を訪れた親たちが我が子を手伝おうと積んでいったものなのでしょう。
また、周囲に少し生えた草が、所どころ結んであります。
南師は「なんだか分かりますか?」と問いますが、誰も分かりません。
「我が子を追い回す鬼が、草に足を取られて転ぶようにと願って、親たちが結んでいくのです」という言葉を聞いて、胸が締めつけられるような気持ちになりました。

sml.IMG_2528.jpg
この地蔵も亡き方を想うご遺族が持ち込み、徐々に増えていったものだそうです。
お地蔵さまですからね、石で出来ているから重いんです。
こんな重いものを、こんな山奥まで…重さよりも、想いの方が強いのでしょう。

sml.IMG_2529.jpg
荒涼とした風景を通り過ぎると、そこには美しい極楽浜、そして宇曽利湖(うそりこ)が広がっています。
数年前に訪れた青年が、この美しさにフラフラと湖に入ってしまったそうです。
しかしこの美しさには理由があります。湖底からも火山性ガスが噴き出していて酸性度が高く、ほとんど生物が生息していません。
その青年は、3日間も眼が開かなかったそうです。

sml.IMG_2518.jpg
本堂に戻ると、後方の棚の上に無数の花嫁人形が並んでいます。
これを見た瞬間、その意味に気づき、全身に鳥肌が立ちました。

皆さん、なぜ恐山に多数の花嫁人形があるかお分かりになりますでしょうか?
よくよく見ると(写真は加工していますが)、花嫁人形のケースには戒名や法名が書いてあり、若い男性の写真が入っています。
そう、未婚で若くして亡くなった息子のため、親御さんがあの世の花嫁を連れてくるのです。


南師は、「宗派それぞれの教義や作法があり、遺族の想いをその器に収めとろうとする。しかしその器に収まりきらず溢れだした想いが、恐山のような霊場に流れ込んでくるのでしょう」と仰いました。

浄土真宗では、亡き方はちゃんと成仏している、悩み苦しみの無い仏さまとなっている。
だから供養するのではなく、仏さまとして敬うことが大切です。
そう説きます。

けれど、誰もがそう納得できるわけではない。
亡き方に、何かしてあげたい、何かせずにはいられない。
その想いを、「供養は必要ないですよ」と切り捨ててしまってはいけないのだな。
「供養」の巨大な念が渦巻く恐山で、改めてそう感じさせられました。


<1日目>はこちら

nice!(3)  コメント(2) 
共通テーマ:blog

恐山 1日目 [その他色々]

私、未来の住職塾サンガ(卒業生会)の会長(=雑用係?)をさせて頂いています (^_^)
大きな仕事としては、毎年秋の研修旅行のセッティングです。

今年は、お坊さんでもなかなか行ったことが無い日本で最も有名な霊場、青森の恐山に行ってまいりました。
霊場としても有名な恐山ですが、実は曹洞宗の菩提寺というお寺でもあります。ちなみに「菩提寺」という言葉は、一般的には「我が家のお寺さん♡」という意味ですが、ここでは寺院の固有名詞になっています。

またこの恐山菩提寺の院代(住職代理)は、これまた高名な僧侶、南 直哉(みなみ じきさい)師。
曹洞宗の大本山である福井県の永平寺で20年も修行に励み(通常は1〜2年の方が多いそう)、自他共に厳しくストイックな姿勢から「永平寺のダース・ベイダー」と恐れられたお方です(実は事前の打ち合わせの際、あまりの緊張感に泣きそうになりました)。


秋の青森。
好天に恵まれた中、青森中心部から3時間ほどかけて下北半島の中心部に大型バスは向かいます。
曲がりくねった山道を上ると、視界が開けるとともに硫黄のにおいが…。
境内のあちこちから火山性ガスが噴出する、異界の雰囲気を漂わせる恐山にたどり着きました。

sml.IMG_2510.jpg
到着後、すぐに南師によるご講演。
現在の日本はどういった状況にあるか、そしてその中に存在する寺院にどういう未来があるか。
ご自身が院代を務める恐山に訪れている変化もありのままに話しつつ、まったく忖度の無い厳しい言葉が矢継ぎ早に飛来します。

非常に幅広い知識をベースに、古来からの日本社会の構造や、新宗教について、他宗派の教義について、現代未来の医療倫理問題まで、矢は降り注ぎ続けました。

sml.IMG_2511.jpg
しかしこちらも、「未来の住職塾」で真剣に仏教の・僧侶の・自坊の未来を考え尽くしたメンバー揃い。
みな我がこととして南師の話に耳を傾け、講演後には果敢に質問の手を挙げていました。


ご講演後、入浴(濃厚な温泉でした)、夕食、そして分科会。
南師のご講演について、2人1組で掘り下げていきます。

そしてようやくリラックスして懇親会が始まりましたが、途中で南師もご参加くださいました。
部屋にいらした南師、なぜか私の対面に座り、なんとなく主に私と対話するような雰囲気に。
……2日間の研修旅行で、この時間が最も脳が疲れたかもしれません (-_-;) 

そうして恐山の夜は更けていきました。





nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

DIY.KESA! [その他色々]

手芸好きの坊守(妻)、着なくなった着物などを材料にコースターやティッシュケースなど小物を作るのが趣味です。
時には気合いが入りすぎて、フルタイムの仕事ぐらい裁縫部屋に籠もってしまいます (^_^;) 
(ちなみに以前、「サイホウに行ってきます」と言われ、西方極楽浄土に行ってしまうのかと驚いてしまいました)

さて、今日も今日とて裁縫にいそしむ坊守。
今度はなにやら細長いものを作っている様子。

なにが出来るのかな…と様子を見ていたら…
sml.IMG_2486.jpg
袈裟。

え!? 袈裟って自分で作れるの?
あとちょっと派手じゃない!?

最初は試作的な感じで派手な生地を使ったよう。
その後はコツをつかんだのか…
sml.IMG_2487.jpg
量産体制に(笑)

この袈裟、正確には「略式畳袈裟」と呼ばれるものです。
それにしても袈裟って法衣屋さんで買うしかないと思い込んでいたんですが、人間やってやれないことはないんですね〜〜
sml.IMG_2493.jpg
ひとつ頂戴しました。
大島紬の着物から作ったものだそうで、とても細かく落ち着いた柄がお気に入りです (^_^)

大好きなあのお坊さんに手作りの袈裟をプレゼントしたいわ〜というアナタ!
ぜひチャレンジしてみてはいかがですか!

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

募金の意味 [その他色々]

40389860_1222819311188861_5455202459897036800_n.jpg
先日、初めて街頭募金活動をさせて頂くご縁がありました。
https://753an.blog.so-net.ne.jp/2018-08-31

1回か2回ぐらい「人から金を集めてないで、自分の金で支援すればいいじゃないか」なんて絡まれるかもしれないなと考えていたのですが、残念(?)ながら今回そういったことはありませんでした。

募金活動に対し、ときどきそんな意見を耳目にすることがあります。
しかし、少なくとも僧侶が行う募金活動に関しては「支援金を集める」ことだけが目的ではありません。
多くの人に善行をして頂くご縁を作る、というのが目に見えない目的だと思っています。


1人の人が1万円の寄付をすれば、それはそこで終わってしまいます。
でも募金活動で、たとえば3人の方が千円を入れ、10人の方が五百円玉を入れ、20人の方が百円を入れれば、33人もの方が「自分は被災地のために何かしたんだ」と思うことができます。

実際の例では、東日本大震災の一周年の際、横浜市営の関内ホールで行事を開催した時のことが思い出されます。
10万円ほどの経費がかかったと記憶していますが、264の席が満席になり、約20万円の募金が集まりました。
これも私が10万円を寄付すれば、それでおしまいになる話でした。
しかし264名の方が(全員かどうか分かりませんが)少しずつ出してくださった20万円は、264名の思いが込められています。


ニューヨークの元市長、ジュリアーニ氏の「割れ窓理論」は、1枚の割れた窓を放置しておくと、そこから街の治安が悪化していくというものです。逆を言えば、1枚の窓を入れ直し、ひとつのゴミを拾えば、街の治安が保たれることに繋がるいうことでしょう。

これは人の心にも当てはまると思っています。
道端でついゴミを捨てたり、困っている人を見て見ぬふりして通り過ぎれば、その人の心は少しずつ荒んでいくのではないでしょうか。

逆に、ゴミを拾ったり、重い荷物を持つ方を手助けしたり、募金箱に百円を入れたりすれば、少しずつ人の心は澄んでいくと思います。

少しずつ荒んだ心は、何か魔が差しそうになった時に後押しをするかもしれません。
しかし少しずつ澄んでいった心は、魔が差しそうになっても自分を引き止めてくれるということがあると思います。1人1人の変化はわずかでも、それが社会全体に広がれば大きな変化になるのではないでしょうか。

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

初の街頭募金活動 [その他色々]

我ながら色々な活動に首を突っ込むタチだと思いますが(笑)、実は街頭募金活動というのをしたことがありませんでした(行事で募金を集めたことはありますが)。

今回、秋田の法友、日蓮宗の齋藤宣裕さんからお誘い頂き、JR目黒駅前で西日本豪雨災害の募金活動をお手伝いさせて頂くご縁がありました。
秋田最古の日蓮宗寺院 法華寺

なぜ秋田のお坊さんが都内で募金? と最初は思ったのですが、2011年の東日本大震災で被害を受け、その時に全国から様々な支援が東北に集まった、その恩返しがしたいとのこと。また本山の池上本門寺にいらっしゃる機会が多く、そこに合わせて都内でというお考えでした。

Facebookで仲間を募り、最終的には様々な宗派の5名の僧侶プラスお寺の奥さん1名が集まり、警察に許可を得て目黒駅周辺で募金活動をスタートしました。


私は初体験だったものの、齋藤さんは定期的に盲導犬の募金活動をしているそうで、とにかく慣れています。前述の警察への許可も事前に済ませ、大きなパネルや募金箱も全て自腹で準備してくださいました。

また、いざ募金を始めると立て板に水のようにお願いの言葉が出てきてビックリしました。黙って立っていればいいんじゃないんですね〜〜。
40448910_1076691785833335_2293441312621330432_n.jpg
<街に自然に溶け込むお坊さん、の図>

始める前は、誰も入れてくれないんじゃないか、と心配していたんですが、意外にも多くの方がご協力くださいます。何人か続けて入れてくださることもあれば、10分20分と誰も近づいてこない時間もあります。
ついつい人間観察なんかもしてしまって、ひそかに楽しんでしまいました (^_^;) 
40377684_1076691819166665_7965182387061522432_n.jpg
<笑顔でいようとして笑い過ぎのワタシ>

途中から2班に分かれ、私は齋藤さんとは違う班に。
声出し名人の齋藤さんがいないので、こちらの3人は徐々に自分で工夫して声を出すようになりました。必要は発達の母ですね (^_^)

2時間の募金活動を終えて集計すると、34,737円も集まっていました!
自分たちも募金したので、実質3万円弱ほどですが、それでも当初の「ほとんど集まらないんじゃないか」という心配はまったくの杞憂でした。これは、やはり僧衣を着ていたということが大きかったんじゃないかと思います。

集まった募金は、被災地でボランティア活動を行っている全日本仏教青年会に全額寄付をさせて頂きます。

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

演劇『雰囲気のある死体』出演! [その他色々]

ひょんなことから、お芝居に出演させて頂きました!

舞台役者でもある坊守(お寺の奥さん)の役者仲間から「今度の芝居に、本物のお坊さんに出て欲しいんだけど…」という相談がありました。

話を伺うと、劇作家の別役実さんの『雰囲気のある死体』を公演することになり、ラストシーンに僧侶が登場するのだけど、役者が僧侶を演じるのではなく本物の僧侶に出て欲しいとのこと。

『雰囲気のある死体』は病院を舞台にしたブラックコメディで、バタバタと様々な事件が巻き起こり、死体と病人が取り違えられそうになってしまう展開。
そのバタバタの中で死体はモノのようにぞんざいに扱われてしまうが、一歩下がって冷静に見ていた僧侶がラストシーンでその死体に弔いの経を唱える。

相談を持ちかけていらした「演劇集団 五色の花」主催の玉野井直樹さん言葉を借りると…
僧侶が丁寧に読経をすることで、ぞんざいに扱われていた「死体」が尊厳のある「遺体」になっていく。そこにリアリティが欲しい。
その言葉が心に響き、「お手伝いをさせてください!」とついウッカリ言ってしまいました(笑)。

ただお芝居は複数日数あって自分1人では不安でしたので、稽古場や劇場へのアクセスも考慮し、西新宿の淨音寺、高山一正住職に声をかけさせて頂きました。
とはいえ高山さんは私などと違って真面目で控えめな性格。お芝居に出るなんて話は断られてしまうだろうな…と思っていたのですが、思いがけずOKを頂いてビックリ (。・・。) 

そんなわけで、何度か稽古場に顔を出しつつ、ついに迎えた公演本番。
衣装は僧衣、芝居は必要ナシ、セリフはお経のみという、ある意味普段の法事などと変わらないのですが、観客が注目する舞台に上がるというのは緊張感のあるものです。
本番でも稽古場でも色々な学びがあり、普段の生活とは違った場に立たせて頂いて、高山さんも私も実りのある時間を過ごさせて頂きました。

smallIMG_2454.jpg
舞台は病院の地下にある病室。
隣が霊安室ということが悲劇(喜劇?)の引き金に…

DSC_1214.JPG
千秋楽を終えて集合写真(ちゃっかりセンター)。
何度も上演されてきた作品だけれども、坊さんが本物だったり、遺体役を実際に人が演じたりするのは初めてではないだろうか、とのことでした (^_^;) 

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

お花をお供えするということ [その他色々]

近所のスーパーに、仏花に関する貼り紙がありました。
smallIMG_2447.jpg
まさかスーパーで仏教に触れた貼り紙があるとは予想外で、嬉しくなってFacebookに投稿したところ、思いがけず大きな反響がありました。また様々なご意見を頂き、仏花ひとつとっても色々な意味があるのだな、と学ばせて頂きました。

基本的に好意的な意見が多かったのですが、やがて「下と上に書いてあることが矛盾してない?(浄土宗:加用雅信さん)」という意見が出ました。
よく見ると下には「仏さまに仏花をお供えする」という趣旨が書かれていて、上には「仏花は仏さまにお供えするものではない」という趣旨が書いてあります。確かに矛盾していて、一般の方がこれを見たら「どっちやねん」と感じるでしょう。
また上には、「仏花は仏様にお供えするものではない」と言い切っていて、これに違和感を覚える僧侶も多くいらっしゃいました。

上のポップで言いたいことは「仏花は仏さまにお供えするだけの意味ではない」ということでしょう。
「短い期間でしおれ、枯れていく花を見ることによって、いのちの有限性に気づく。そこから故人への思いを深めたり、いま自分が生きていることを感謝するという意味もあるんだよ」と伝えたいのだと思います。

また、このような考え方は浄土真宗的な傾向があります。
浄土真宗では「供養」という概念があまり無く、お供えや法事を「故人のため」というよりは「実は自分に向けられているもの」という捉え方をします。
けれどそれは仏教全体としてはやや特殊な考えともいえ、そこに関しても様々な宗派の僧侶からご意見を頂けましたので、長くなりますがご紹介させて頂きます。


・お経に「願心清浄」とあるように、尊い存在(仏さまやご先祖さま)にお花やお菓子をお供えしたいという、その心が尊いのです(浄土宗:長谷雄蓮華さん)。

・仏花は仏さまにお供えするものであり、回向してこちらを向いていると考えていた(天台宗:小野常寛さん)。

・こういう解釈もありだとは思うけれど、仏さまへのお供えではないと否定している部分はおかしいのではないか(真言宗:塚越秀成さん)。

・真言宗的には、荘厳を整える(美しく飾る)という意味だと思う(真言宗:増田俊康さん)。

・我流だが、仏花はお浄土の美しさ、灯明はお浄土の確かさ・頼もしさ、お香はお浄土の清らかさをそれぞれ表していると説明している(浄土真宗:竹柴俊徳さん)。

・真言宗では場合によってトゲのある植物を使うこともある。また六種供養の考え方から花は忍辱を表すという教えもある(真言宗:色摩真了さん)。

・敬意を込めて物や行いを捧げ奉仕すること、またその善果を回向することの一環として捉えていました(浄土宗:伊藤竜信さん)。

・花は種から芽を出して暑さや寒さに耐えて花を咲かせることから、耐え忍ぶことを表しています。また、花を見る者の怒りを鎮める役割もあります。つまり、仏花を供えるということは耐え忍び、怒るなという教えにつながっています。六波羅蜜の忍辱です(真言宗:中村一善さん)。

それを踏まえて、大きく文章を変えず、より正しく表現すると以下のようになるでしょうか(もとの文案:天台宗:染川智勇さん)
仏花は仏さまにお供えするだけの意味ではない…ってご存知でしたか?
お供えを通して仏さまが説かれた「命あるものはいつか死ぬ」という命のはかなさを再確認させてらうために、生花を供えるのだともいえます。
仏花を見ることで、故人を想い生きている大切さを感じる。
仏花をお参りする人に向けて供えるのには、そんな意味もあるのです。


スーパーの店員さんに聞くと、この貼り紙はジェルフラワーという生花の会社が作ったものとのこと。
http://www.jelflower.com

連絡をとって色々とお伝えさせて頂いたので、そのうちより正確な内容に直っていて欲しいと願っています。

追記:花屋さんに連絡を取ると、この貼り紙を作った方は退職し、連絡の取れない状態とのことでした。どういった経緯で仏花について調べ、この文面を作ったかお聴きしたかったので残念でした。

追記2:禅の世界観では「美しい」と素直に感じた気持ちを尊重し、また「亡き方にお供えしたい」という素直な気持ちを大切にする。不立文字という言葉がある通り、説明より感覚を大切にする(臨済宗:藤尾聡允さん)

nice!(3)  コメント(2) 
共通テーマ:blog

雨の大阪行 その2 [その他色々]

1日目はこちら

そんなこんなで2日目。
台風は日本海側に抜けたものの、大阪は朝から大雨です。

そんな中、「御堂筋」の名称の由来となった浄土真宗の東西本願寺別院をお参りさせて頂きます。
smallIMG_2425.jpg
こちらは大谷派(お東)の難波別院、通称 南御堂
あまり段差のない平たい作りになっていて、その部分が北御堂と対照的です。平成30年7月現在は大掛かりな工事が行われていて、宿泊施設を兼ねた山門を建築しているとのことでした。

smallIMG_2429.jpg
こちらが昨晩も訪れた本願寺派(お西)の津村別院、通称 北御堂
南御堂に比べ上方向に建築されていて、写真では巨大さがイマイチ伝わらない本堂はエレベーターでも上がることができます。

両御堂をお参りした後は、以前からお参りさせて頂きたかった東大阪市 往生院六萬寺さま。こちらはお坊さんQ&A hasunohaで親交のある川口英俊さんが副住職を勤めるお寺です。

往生院六萬寺HP http://oujyouin.com
hasunoha 川口さんページ https://hasunoha.jp/users/16

有名な花園ラグビー場の最寄り、東花園駅まで車でお迎えを頂戴し、大阪を一望できる高台のお寺へ。
smallIMG_2432.jpg

こちらの往生院六萬寺さま周辺は、古くは修験道の修行場だったそうです。しかも、そういった山は女人禁制という場合が少なくありませんが、こちらは男女平等に修行ができる珍しい場所でした。

ごく最近(平成30年4月)に滝行場の跡と思われる台石が発掘され、そこから整備を行い、長い時を経て滝行のお寺として6月末に復活したばかり。
「せっかくですので」とお誘い頂き、私も人生初の滝行にチャレンジさせて頂きました。
smallIMG_2436.jpg
お寺の奥の高台から、さらに山中に踏み込んで10分ほど歩くと滝行場に到着します。
白いふんどしと白衣に着替え、川口さんを導師として読経。

smallIMG_2437.jpg
先に川口さんが見本を見せてくださいました。
大音声で真言を称えていらっしゃるので、雄々しい表情です。

smallIMG_2439.jpg
見よう見まねで私。
真言は知らないので、浄土真宗のお経「重誓偈」を称えますが、フタ空けっぱなしのコーラみたいな表情(笑)
自分が普段、どんな表情で読経しているのかが分かりました (^_^;) 

雨とはいえ蒸し暑い時期でしたので、始める前は「気持ち良さそうだな〜」と思っていましたが、やはりそこは山の水。思ったよりも冷たくて、打たれ続けながら声を出すのは少し難しいほどです。こういう時は、淡々とした読経よりも、声を張って真言を称える方が適しているのだな、と感じました。


ということで2日間の大阪行。
結局プランを立ててて訪れたのは全てお寺でした(笑)。

台風の接近で一時は訪問も危ぶまれましたが、なんとか無事に往復することができました。
ただ、翌日から西日本を中心に記録的な大雨の被害が広がり、多数の犠牲者が出ております。
衷心より哀悼の意を表します。

nice!(3)  コメント(2) 
共通テーマ:blog

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。